【選手権100回大会企画23】岐阜の高校野球

 岐阜県の高校野球は、県岐阜商が戦前から中心となってきた。

 校名が岐阜商だった1936年の第22回大会に、県勢として夏の甲子園に初出場。現在でも県勢唯一の優勝を果たした。センバツに5回出場して2回優勝しており、念願の夏初制覇だった。

 その後、56年の第38回大会まで準優勝が3回。頂点にあと一歩届かなかった。64年の第46回大会で4強入り後は、準々決勝の壁に阻まれた。

 その後も岐阜県内の高校野球の中心は、県岐阜商だったが、多くの学校が甲子園で活躍を見せている。

 49年の第31回大会では岐阜がエース・花井悠(元西鉄)の奮闘で初の決勝へ進出。決勝で湘南の勢いに飲まれたが、県岐阜商以外では県勢初の決勝進出だった。

 70年の第52回大会では初出場の岐阜短大付(現岐阜第一)が4強へ進出。エース・湯口敏彦が、2回戦で同年センバツを制した箕島に1失点完投。3回戦でも東邦を完封した。準決勝で同大会を制して優勝する東海大相模に敗れたが、初陣での奮闘は注目を浴びた。

 75年の第57回大会では、中京商(現中京学院大中京)がエース・今岡均投手を中心に活躍。1回戦で早実を完封すると、同校最高成績となる8強まで進出した。

 大垣商は、2度目の出場となった88年の第70回大会で2勝して3回戦へ進出した。左腕エース・篠田淳投手(元ダイエー)が、1回戦・坂出商では古池拓一投手(元近鉄など)と投げ合って完封。3回戦・津久見でも川崎憲次郎投手(元ヤクルト)と投手戦を繰り広げた。川崎の7安打より少ない5安打に抑えたが、惜しくも0-1で敗れた。

 岐阜県勢は83年の第65回大会での岐阜第一を最後に8強からも遠ざかっていた。しかし、名将・阪口慶三監督が率いる大垣日大が快進撃を見せた。

 2007年センバツで、甲子園に春夏通じて初出場して準優勝。夏も初出場し、エース・森が1回戦・金足農戦で15奪三振、2回戦・創価戦も13奪三振の快投を見せ、県勢24年ぶりの8強入りを果たした。

 1980年以降は、夏の甲子園で目立った成績を残せていなかった県岐阜商は、2009年の第91回大会で意地を見せている。45年ぶりに4強入り。県勢としても70年の第52回大会での岐阜短大付(現岐阜第一)以来39年ぶりだった。

 ◆岐阜県勢の夏の甲子園アラカルト

【出場回数ベスト5】

1位・県岐阜商28回

2位・中京学院大中京6回

3位・大垣日大4回

3位・市岐阜商4回

5位・岐阜、大垣商、岐阜城北、土岐商3回

【勝利数ベスト5】

1位・県岐阜商39勝

2位・中京学院大中京7勝

3位・岐阜第一6勝

4位・岐阜5勝

5位・大垣日大4勝

【最高成績】

優勝・県岐阜商(1936年)

【通算成績】

136試合

71勝64敗1分

勝率・526

【主な監督】

 諏訪俊彦…市岐阜商、大垣商などの元監督。大垣商を強豪へ育て、1988年の第70回大会で3回戦へ進出。

 近藤正…中京商の元監督。75年の第57回大会で8強へ進むなど、春夏通算5回の甲子園に出場した。

 藤田明宏…岐阜三田(現岐阜城北)、県岐阜商の元監督。岐阜城北では06年春に4強。県岐阜商でも09年夏に4強へ進んだ。春夏通算5回の甲子園へ出場し、8勝4敗。

 ◆デイリー独断!岐阜の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン

【先発】多治見工・梶本隆夫(元阪急)

【中継ぎ】県岐阜商・三上朋也(DeNA)

【抑え】大垣工・山田勉(元ダイエー)

【捕手】岐阜・森祇晶(元巨人)

【一塁手】県岐阜商・和田一浩(元中日)

【二塁手】県岐阜商・高木守道(元中日)

【三塁手】中京・松田宣浩(ソフトバンク)

【遊撃手】県岐阜商・前原博之(元西武)

【外野手】岐阜・花井悠(元西鉄)、県岐阜商・千藤三樹男(元日本ハム)、県岐阜商・蔵本英智(元中日)

【指名打者】県岐阜商・国枝利通(元中日)

(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)

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