25年のスカウト人生で一番印象に残った長野…もし阪神が1位で指名していたら
巨人で1年目から主力として活躍している長野久義だが、紆余曲折を経ての入団だった。巨人入りを熱望し、日大4年時の2006年度ドラフト会議で日本ハムから4巡目指名を受けるも拒否。ホンダに入社し、2年後の08年度ドラフト会議でロッテから2巡目指名を受けるも再び拒否。翌09年に巨人から晴れて1位でプロ入りした。現在AbemaTV東京六大学野球中継の解説を担当している元阪神スカウトの菊地敏幸氏も、長野を追っかけていた。阪神入団とはならなかったが、長野はスカウト人生25年の中で最も獲得へ情熱を注いだ選手の一人だった。
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最終的には阪神とは縁がなかったが、25年間のスカウト人生で長野は一番印象に残っている選手だ。
日大の時の長野は担当選手ではなかったが、日本ハムの指名を拒否してホンダに入社したことで私の担当選手となった。ただ日大の時から長野が巨人でプレーしたいという話は聞いていたので、ドラフト解禁となる08年には巨人が長野を1位指名するだろうと思っていた。
しかし、その08年、事態は大きく変わった。東海大への進学を表明しプロには行かないと言っていた東海大相模の大田泰示(現日本ハム)がプロ志望届期限日の直前に「プロに入る」という情報が、私のところに入ってきた。慌てて東海大相模に行き、門馬監督に確認すると「志望届は出さないです」と言われたが、そこには巨人と系列のスポーツ紙の記者がいた。これは巨人とできているなとすぐに分かった。
その翌朝に「志望届を出すことになりました」と門馬監督に言われたのだが、私の頭はすぐに切り替わった。巨人は1位で大田に行くから、長野の1位はない-。そこからドラフト会議まで2週間ぐらいしかなかったが、長野に密着する日々が始まった。練習しているグラウンドはもちろん、ホンダの女子ソフトボール部の応援に駆け付けていた球場にも追い掛けていった。ホンダの当時監督だった安藤さん(現東海大監督)にも「阪神は外野手が手薄なのでウチに来て欲しい」「本人の気持ちは大事だが1位で行かせてもらいたい」と猛アタックした。
結局指名してもいいのか返事をもらえず、ドラフト会議当日の1時間前に最終結論をもらうことになった。約束の時間に電話すると「何年待ってもジャイアンツでやりたいです」と返答だった。阪神は長野から降りた。だがロッテが2巡目で強行指名してきた。その後、私が新幹線に乗っている時、長野から連絡があり「阪神が一生懸命来てくれたのにロッテに行くわけにはいかないです」と。「俺のことは気にせず、判断して」と言ったが、「ロッテを断ります」と腹を決めていた。
翌年のドラフト会議で巨人に晴れて指名された長野と、話す機会があった。阪神は08年のドラフトで松本啓二朗(元DeNA)を1巡目指名するも競合で外していたことで「もし阪神が外れ1位で行っていたら来たか」と聞いてみた。すると「行っていたかもしれませんよ」。リップサービスなのかもしれないが、ウソとも思えない口調。もしかして指名したら本当に来ていたかもしれない…。私は心の中で「あちゃ~失敗した」と叫んでいた。
◆菊地敏幸(きくち・としゆき)1950年生まれ。法政二から芝浦工大を経てリッカー。ポジションは捕手。89年にスカウトして阪神入団。藪、井川、鳥谷らを担当。13年限りで退団した。今年から「AmebaTV」で東京六大学野球リーグの解説を担当
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