大谷廣太郎
花形として売り出し中の大谷廣太郎。父・大谷友右衛門と同様に、品のある舞台が魅力。『東海道四谷怪談』の秋山長兵衛や、第14回伝統歌舞伎保存会研修発表会『双蝶々曲輪日記』濡髪長五郎など、熱心な役作りで評判を呼んだのも記憶に新しい。これからますますの活躍が期待される。
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今月はじめて巡業に参加させていただいています。毎日違う劇場で、初めてのお客様なので、ドキドキしますね。今年は叔父の五代目中村雀右衛門襲名披露ということで、父や弟ともに出させていただいていますが、貴重な経験ですね。毎日、いろんな発見があり、楽しいです。
先代の雀右衛門である祖父は偉大な歌舞伎俳優。でも僕の前では本当に普通のおじいちゃんでした。疲れたらソファーに横になったり、たぶん誰も知らない祖父の姿を見ていたと思います(笑)。しかし歌舞伎に関しては厳しかったですね。2000年に新橋演舞場の『助六由縁江戸桜』で祖父が揚巻、僕が禿たよりのお役をいただいたことがありました。まだ8歳の子供で、恥ずかしくてモジモジしてたら、後ろにいた祖父に怒られて「替われ!」と。結局、弟に替わらされ、ずっと泣いていた思い出があります。でも怒られたのはその時くらいでしょうか。私生活においては怒るという姿をほとんど見なかった。父や叔父に対しては厳しかったようです。「親子じゃなくて、歌舞伎俳優として先輩後輩の立場なんだ」と言っていましたから。
2010年正月の歌舞伎座さよなら公演『春の寿』の女帝役で1日だけ出演したとき(1月19日)、一緒の楽屋だったんです。そのときほとんどの方が、祖父にあいさつにいらっしゃり、あらためて祖父の偉大さというものを感じました。いろんな方に愛されていたんだなと思います。もっとたくさん歌舞伎の話をしたかったなとも思いますが、優しい人というのが僕にとっての祖父の思い出です。
父は厳しいというより「ちゃんと自分で考えてやりなさい」と、その過程を大切にしています。父が演じたお役はもちろん教えてもらいますが、演じたことのないお役などは「他の家で教えていただき、勉強しなさい」と、干渉は一切ないです。実際に教わることが多いのは高麗屋(松本幸四郎)のおじさんや、(市川)染五郎のお兄さんです。ご一緒させていただく時は、お二人がなさることはしっかり刻み込むようにしています。
実は、祖父に怒られた直後は歌舞伎がイヤになっていました。中学の頃は学校終わりにみんなと遊べず稽古に行くのもイヤでした。でも高校あたりから稽古のある生活が、自分にとっての普通になっていました。思い返すと自分ではイヤだと思っていた時期も、本気で嫌っていたら、稽古は続けていなかったはず。どこかでずっと歌舞伎が頭にあったんだと思います。幼い頃から漠然と「歌舞伎俳優になるんだろうな」という思いはありましたが、その頃には自分の意志で「歌舞伎俳優になる」と決意しました。
本当に歌舞伎が面白いなと思い始めたのは、中学生のときに「趣向の華」に出演させていただいた頃からです。三味線の稽古なども始め、舞台に出ることそのものが楽しくなりました。同年代の若手と一緒に舞台を作る楽しみもありました。同年代の役者に対しては、弟の廣松も含めて、やはりライバル心はあります。それと同時に、同じくらい仲間意識もありますね。
今はいただいたお役を一つひとつ丁寧に演じることを大切にしています。どのお役も大切ですが、特に楽しかったのは、昨年12月の国立劇場『東海道四谷怪談』の秋山長兵衛ですね。長兵衛は高麗屋のおじさまが演じられた民谷伊右衛門の友人役ですよ!そのとき僕はまだ23歳。通常なら、もっと年配の方が演じられるようなお役ですから、僕が最年少長兵衛。染五郎のお兄さんじゃなく、当時73歳の高麗屋のおじさまの友人役!お役を聞いたときは驚きましたが、それからの役作りも含めて楽しかったですね。どうやってうらぶれた感じをだそうかとか(笑)、毎日少しずつ変化していました。あとで伺うと、お兄さんが是非にとおっしゃって、僕の長兵衛になったそうです。
でもそうした配役が歌舞伎の妙というか、面白さですね。「ええっ!?」という驚きがあるのが歌舞伎の醍醐味。2014年6月博多座で『恩讐のかなたに』の浪々の武士での台詞に「敵を探し求めて二十数年」っていうのがあるんですよ。でもその月に僕は22歳になったばかり。「お前、幾つだよ!」って突っ込み入れたくなりますよね(笑)。
染五郎のお兄さんは、すごく僕のことをよく見て、わかってくださっている。「こんな役をやってみたら面白いよ」とか、「こうすればいいよ」と適切に指示をくださる。三枚目路線しかり、六代目友右衛門のように荒事路線もいいんじゃないかと提示していただいたりもしています。あといくつか僕にやらせたい役があるそうで、それも楽しみです。
父は実直な二枚目が多いんですが、自分自身は楽しい役が好きですね。いずれやってみたいのは『敵討天下茶屋聚』の安達元右衛門です。四代目の友右衛門が当り役として「明石屋の型」を作ったんです。元右衛門の持っている小道具にも(家紋の)丸十が入っていたりするんですよ。父で八代目なので、ずいぶん間があいていますし、父もまだ演じたことはない。でもいつかは「明石屋の型」を復活させたいと思っています。
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大谷廣太郎(おおたに・ひろたろう)1992年6月10日生まれ。八代目大谷友右衛門の長男。屋号は明石屋。96年11月歌舞伎座『土蜘』の石神にて本名の青木政憲の名で初お目見。2003年1月歌舞伎座『助六由縁江戸桜』の禿で、三代目大谷廣太郎を襲名し初舞台。11年、大学入学を機に舞台活動を本格化、歌舞伎公演を中心に出演。