桂小文枝 破門で知った師匠の深い愛情 父親みたいに-甘えもあった

 落語家の桂小文枝(70)はきん枝時代に無免許運転や女性問題など不祥事を繰り返し、ついに師匠の五代文枝から破門を言い渡された。自身に非があることは分かっているものの「なんで破門やねん」と逆恨みする苦しい日々を送った。文枝の兄貴分、六代目笑福亭松鶴の仲介で戻ることができたとき、弟子を思う師匠の深い愛情を知ることになった。

 -1969年に高校卒業後、大手エレベーター会社に就職も3カ月で退職しました。

 先輩とちょっとあって会社にいづらくなりましてね。母親に辞めたとも言えず、ぶらぶらしてる時にふらりと入った「うめだ花月」で落語を見て「ええ商売やな」と。漫才は立ってやらなあかんけど落語は座ってできる(笑)。これは楽やと。その頃は上方落語四天王と呼ばれた4人の師匠が活躍されていました。4人のだれかに弟子入りしようと思ったんです。

 -六代目笑福亭松鶴、桂米朝、五代桂文枝、三代目桂春団治の各師匠ですね。

 うちの師匠(文枝)の話を多くの方から聞いてだれからも悪口が出なかったんで、この人しかいないと思って決めました。確かに間違いなかったです。よう、辛抱してもらえました。

 -小文枝師匠はきん枝時代、いろいろありましたね。

 私は何回も新聞沙汰になりました。無免許運転とかいっぱい迷惑かけましたからね。報道されるときに私の名前だけやなしに師匠の名前も出ます。あなた方にしても師匠の談話が欲しいじゃないですか。

 -そうですね。欲しいところです。

 ほんなら、師匠もそれなりにしゃべらなあきません。弟子の不祥事で新聞社から取材を受けるなんて、おもろないですよ。

 -不祥事が続いて83年に文枝師匠から破門されました。後に六代目松鶴師匠の仲介で戻ることができた。

 破門された翌年に小染にいちゃん(四代目林家小染)が事故でお亡くなりになりました。お通夜の席で六代目に声をかけていただいたんです。「おまえ、戻る気あんのか」「あります」「分かった」。日を改めて六代目と師匠の家に行きました。六代目はうちの師匠の兄貴分です。ご自宅にうかがうと六代目が僕を玄関に置いて、ぴゅーって家の中に上がって行かはりました。うちの師匠は長谷川多持(たもつ)というんです。六代目と師匠の会話が聞こえてきて、「たもつ、きん枝戻すで、ええな」「兄貴がそう言うなら」。六代目のおかげで戻ることができました。それというのも小染にいちゃんが事故で亡くなったから…。

 -きっかけができた。

 そうですね、きっかけができた。六代目松鶴師匠は僕らにとって天の上の人やから、親しくお話しする機会もなければ会社も違う。今のように大阪に落語の定席小屋「繁昌亭」のようなものもなかったのでお会いする機会すらないんです。

 -小文枝師匠としては復帰のために六代目が目をかけてくれた理由が見つからない。

 ないんです。分からんねん。だれかから聞かはったのか。お通夜の晩にお会いしなかったらね…。私の人生、ほんまにちょっとした接点でつながってますねん。

 -破門後はどのように。

 普段からお世話になってる京都のとある会社の社長さんが電話を下さいました。「どないすんねん」「なにも考えてません」「うちへ来い。面倒みたる」。僕は噺家として以外には3カ月しか働いたことがない、車の免許もない、何にもない人間です。でも社長さんは給料について「なんぼあったらやっていける」と聞いてくださった。そやけど「何百万」とは言えないじゃないですか(笑)。仕事もできひんやつが。ほんでも50万て言うたんです。何十年も前のことですよ。社長は「分かった」と。しばらく働かせてもらって六代目のおかげで師匠のとこに戻ることが決まり、社長にお礼の挨拶にうかがったんです。ほんなら社長が「今やから言うけども、君を雇うにあたって実は君の師匠から電話があったんや」と聞かせてくれたんです。

 -破門した後に文枝師匠がその社長に電話を。

 そうです。師匠は社長に「きん枝のことやから戦力にはならんやろうけれど、1年だけ面倒みたってくれまへんか」と頼んでくれたそうです。「1年たったら戻すつもりでいます。でも、あいつの耳には入れんといて下さい。あいつのことやからそれを知ったらまた、ええかげんなことをしますから」と。社長は「おれは口止めされてたんや」と、おっしゃいました。私、師匠にいろいろ迷惑かけまして最終的にはこっち関係やったんです(右手小指を立てる)。うちの師匠も女性にモテましたから私はいっぱい知ってたんです。あんたもすごいがなって(笑)。そやから、迷惑をかけたことは分かってるんですけども、なんでおれが破門やねんと逆恨みもしました。なんでやねん、なんで破門やねんと。でも、社長さんの話を聞いて、私は考え違いをしていたと気づきました。師匠は私のことを考えてくれてはったんです。

 -親の愛を知ることになった。

 私、父親が47歳の時の子で、父を亡くしたときは17歳くらいでした。師匠が38歳のときに入門して私は18歳でした。せやから師匠のことを父親みたいに思って、どっかで甘えもあったと思います。

 -破門後の心境の変化は。

 師匠のために、一門のために、落語協会のためにどうしたらええのかと考えるようになりました。師匠が私のことを「よう、やってくれんねん」て言ってくださるのは破門の後です(笑)。破門前は「あんなやつ!」って絶対に言うはずですわ。あれから私は変わりました。師匠もほめてはくれませんが、「変わったな」みたいなことを言うてくれることもありました。

  ◆  ◆

 桂小文枝(かつら・こぶんし) 1951年大阪市生まれ。本名・立入勉三。大阪府立成城工業高校卒。大手エレベーター会社に就職も3カ月で退職。69年に三代桂小文枝(のち五代文枝)に入門。きん枝を名乗る。昭和の人気番組MBS「ヤングおー!おー!」で四代目林家小染、月亭八方、桂文珍とのユニット「ザ・パンダ」で一躍人気者に。朝日放送「プロポーズ大作戦」で愛のキューピッド役を務めて人気を博した。2010年参院選に出馬し落選。19年、小文枝を襲名。阪神ファン。

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