伝説の小説家・中上健次 “武闘派”が故郷で見せた意外な素顔 暴れる原因は「人間関係の寂しさ」だった

 戦後生まれ初の芥川賞作家にして、純文学を復活させた旗手としても名高い作家の中上健次(1946~1992年)。昭和から平成にかけ、故郷の和歌山県新宮市や紀伊半島を舞台とした、数々の名作を世に残した。

 逝去してもなお、読み継がれる文学作品と同じく、語り草となっているのがその武闘派エピソード。盟友であった編集者や作家が書いた回想録を読めば、血の気の多さを感じさせる話は事欠かない。芥川賞受賞の報告に来た作家を殴打し、店員にビール瓶を投げつけて怪我をさせることなど、コンプライアンスが重視される現在では想像もつかない話が語られている。

  そうした武闘派エピソードについて「故郷の新宮では良き兄貴分という感じだった」と教えてくれたのが、中上健次顕彰委員会メンバーの山崎泰さんと、新宮市立図書館にある中上健次コーナーを担当する司書の三峪さわ代さん。没後30年である今年、故郷での中上健次の姿を知る証言者として、知られざる素顔について語ってくれた。

 新宮市に暮らす三峪さんは、街中でよく中上健次を見かけていたと話す。「普通に街のなかに溶け込んでいらっしゃる雰囲気で。いろんな喫茶店でお仕事をされていたようなので、お見かけしたことが何度もあります。気取った様子はなかったですよ」

 中上健次が創設し、多彩な文化人や文学者を招いて行われる文化イベント「熊野大学」のスタッフを連れ立ち、街を歩く姿は“良き兄貴分”という風情で、決して乱暴な印象はなかったと、三峪さんは話してくれた。

 また、今も残る中上健次の武闘派エピソードについて、山崎さんは次のように推測する。「おそらく、用事が済むとパッとサイナラしてしまう、そうした仕事だけの関係性に寂しさを感じられていたのでしょう。その思いが募ると、ドカンと爆発してしまう。一方で、地元の方々は仕事の関係性を越えたお付き合いをしますから。居心地がよかった新宮では、終始、穏やかで過ごせたのではないでしょうか」

 三峪さんは言う。「没後から30年が経ち、若い世代の方々にとっては、そうしたエピソードばかりが逸話として残っているのが寂しい限りです。だから今回の取材を通して、少しでも中上健次の作品を読んでほしいと思います。オススメは、『鳳仙花』です。故郷である紀州を舞台にした“母親”を描いた雄大な物語です」。男気と繊細さを併せ持った中上健次の素顔を知ると、また違った思いで中上作品を楽しめるかもしれない。

(よろず~ニュース特約・橋本未来)

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