ケイバ熱盛ブログ「昔と今…。河内師が思うこと」(10月22日)

 菊花賞まであと2日。荒れる匂いがプンプンして、ソワソワしている栗東・井上です。

 19日付のデイリー紙面に掲載したのは、河内洋騎手騎乗のハシハーミットが勝った1979年菊花賞。過去に一度だけ阪神で行われたクラシック最終章を河内師に語ってもらいました。「42年前?俺が24歳の時か…」と懐かしそうにする師。「ちょっと時間をくれるか?思い出すわ」。そう言ったのもつかの間、わずか5分後には「さ、何でも聞いてや」とスタンバイしたから驚きです。

 紙面では菊花賞の振り返りを掲載しましたが、記事にできたのは語ったうちの半分ほど。とても字数が収まらなかったので、ここでは隠れたエピソードや師の思いを披露したい。

   ◇  ◇  ◇

 初めてハシハーミットとコンビを組んだのはデビュー5戦目の呉竹賞。そのあと、福寿草特別と毎日杯で勝利を手にする。「毎日杯の時に力があるな、と感じた。ネーハイジェットやテルテンリュウを負かしたから強かった。腰の甘い所があったから距離が延びていいだろうとも思ったな」。24歳の河内騎手は、この時既に菊花賞を意識していたというから驚きだ。

 ただ、秋初戦で厳しい選択を迫られる。内藤繁春調教師らハシハーミット陣営が菊花賞の前哨戦に選んだのは京都大賞典。前年のダービー、菊花賞と河内が手綱を取った、伊藤修司厩舎のメジロイーグルも出走するレースだ。当時、同厩舎から信頼され、主戦を務めていただけに、頭を悩ませた。「かち合ってさ。あの時はエージェント(騎乗依頼仲介者)がいないから、伊藤厩舎と内藤厩舎を行ったり来たりして。自分で調整しなアカンから。最後は内藤先生が“菊花賞乗せるから、そっち(メジロイーグル)乗れや”って言ってくれたんだ」。携帯電話もない時代。不便だったからこそ、人情味もあったことが伝わってくる。

 いかに鞍上が冷静だったか。79年菊花賞の映像をみれば、それが分かる。1番人気に支持された皐月賞馬ビンゴガルーが先に動いても慌てず、騒がず。あえて仕掛けを遅らせた。「自信があった」「完璧に乗れた」と振り返るが、まだキャリアの浅い24歳。「名人」「天才」と呼ばれるジョッキーは多いが、河内騎手は「職人」や「策士」の方がしっくりとくる。

 師が振り返る。「あの頃の長距離は面白かったからね。色んな考える要素があった。騎手がこう乗る、ああ乗るって。距離が短いと瞬時の判断が勝負をわける。長い距離だと考える時間がある。だから面白かったんだよ」。策士にはもってこいの時代だった。今は時計の高速化に伴い、馬もスピード仕様に変わった。ソフト、ハードの両面が異なり、「馬場が良くて時計が速い。面白くないな。騎手の技術がそれほど必要とされない。駆け引きがいらないもん。今は強い馬に乗る騎手が勝つ時代だから」と苦笑いする。

 ジョッキーに求められることも変化したと分析する。「僕らは馬場に出てから戦いやったけど、今は馬場へ出る前に戦っている」。乗り代わりが当たり前の時代を寂しく、ふびんに感じているようだった。

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 昔と今…。どちらが正しいとは言えない。私たちが見たいのは面白くて、ワクワクする競馬。時代は変わってもその思いだけは変わらない。

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