【野球】梨田さん回復で安ど…「恩人の中の恩人」との再会願う山村宏樹氏

 プロ野球関係者からも罹患(りかん)者がでた新型コロナウイルス流行の早期終息を願うばかりだ。感染した野球評論家の梨田昌孝さんも一時、重篤に陥り、心を痛めた関係者も多かったと聞く。1994年度の阪神・ドラフト1位で入団した山村宏樹投手(野球解説者)はSNSで容体を確認しながら、快方に向かった時に安堵(あんど)していた。

 「自分の恩人の中の恩人というべき人ですよ。集中治療室に入った時は、気が気でなかったけど、本当に回復されてよかったです」と実感を込めて語る。

 プロ入り時は将来、阪神を背負うエース候補に挙げられていたが1999年に阪神を戦力外となった。諦めきれない現役続行への道を切り開いてくれたのが当時の近鉄・梨田2軍監督だった。「クビになってからすぐに電話をいただいたんです。すごくうれしかったのを覚えています」。阪神最終年、2軍で、対戦相手としてウエスタン・リーグでの投球を目を凝らして見てくれていた。2000年に、梨田さんが1軍監督に上がることになり、近鉄入りがかなった。電話では『環境が変われば、絶対に活躍できるよ』と熱く語りかけてくれた。移籍年は期待に応えようとの思いで必死に投げ、ローテに定着。プロ入り後、初めて規定投球回に到達。初めてオールスターにも出場することができ最高の1年となった。

 山村は現在、古巣楽天を拠点とする仙台で、野球解説と、郷里の山梨で高校野球の指導にあたり、将来の有望選手発掘に尽力している。現役時代、野村克也氏を含め2人の名捕手監督のもとでプレーしたことは野球解説や、指導を行う上で財産になったと振り返る。遠くから見守ってくれた存在だった野村氏に対し梨田監督は「選手と近く接してくれて、練習から声をかけてくださった。プレーのことでもいつも気にかけてくださってくれた」と声を詰まらせる。近鉄時代、死球を当てた相手チームに後日、謝る際には付き添ってくれたこともあった。思いきった投球ができたのは梨田さんの存在も大きかったという。

 「梨田さんが現場に復帰されて、またお話しできる日がくればいいですよね。また、グラウンドでお会いできたら」。新型コロナウイルス感染拡大の終息を願い、恩師との再会を待ちわびている。(デイリースポーツ・水足丈夫)

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