【スポーツ】広島ユース出身のプロボクサー有光空大 今はコブシに人生懸ける「夢は世界王者」

サッカーと決別し、ボクシングで世界を目指す有光空大
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 ボクシングジムの広島拳闘会(広島市西区)に、サンフレッチェ広島ユース出身の新人プロボクサーがいる。有光空大(ありみつ・くひろ)(19)。昨年10月、ボクシング未経験ながら、ジム入会から3カ月半でプロテストに合格した。夢は世界王者になること。サッカーと決別し、自らの拳に人生を懸ける。

 「とにかく強くなりたい。今はその気持ちしかありません」。固く結ばれた口元からは強い決意が伝わってくる。デビュー戦が6月20日に佐賀で行われることが決まり、「待ち遠しい。早く試合をしたい」と、はやる気持ちを抑えながら練習に励む日々を送る。

 将来を嘱望されたサッカー選手だった。小学2年から始め、中学の時はサンフレッチェ広島ジュニアユースに在籍、MFとして活躍した。高校でも同ユースに昇格。ポジションはFWで背番号11を背負った。高校1年の時には国体の広島県代表メンバーに選ばれ、準優勝も経験。Jリーガーへの夢を懸命に追いかけていた。

 しかし、故障が順調だったサッカー人生を大きく狂わせた。高校2年の12月に腰椎分離症を発症し、半年間プレーできなかった。腰にコルセットを巻き、日常生活でも支障をきたした。3年夏に復帰したものの思うようなプレーができず、出場機会は激減。「限界を感じた。サッカーは高校で終わりにしようと思った」。周囲から猛反対を受け、昨春、いったんはサッカーの特待生として勧誘してくれた広経大に入学したものの、コロナ禍による部活動停止も重なり、サッカーへの情熱が戻ることはなかった。

 入学から2カ月で退学届を出し、その足で広島拳闘会の門をたたいた。「中学の頃から格闘技が好きでK-1やボクシングを見ていて、いつか自分もやりたいとずっと思っていた。特に高3の時に見た井上尚弥選手とドネア選手の試合は衝撃的だった。サッカーをやめてボクシングをやることに迷いはありませんでした」。ジムの山岡英仁会長(50)は「根性のある子。どんなにシゴいても、しんどいと言わないし、ケガをしていても自分からは痛いと言わない。目標に向かって真っすぐに突き進んでいる」と目を細める。サッカーで培った体力とメンタル面の強さがボクシングにも生きている。

 現在は広島市内で一人暮らし。生活費は週に6日、警備員のアルバイトをして稼いでいる。午後1時から夕方までジムで練習し、帰宅後はシャワーと仮眠。夜10時ごろから工事現場で交通整理や歩行者の誘導を行う。明け方、自宅に戻るとロードワークに出発。午前中は睡眠時間に充て昼にジムに向かう。

 「つらくはないです。ボクシングをしている人はみんな通る道だし、むしろ毎日ワクワクしている。こういう経験も世界チャンピオンになるための過程だと思うので」。山口県岩国市の実家では女手一つで育ててくれた母の忍さんが鉄板焼き店「龍O(りゅうおー)」を営んでいる。母は大学を辞めてボクシングをすると伝えた時も「あなたの選んだ道だから応援する」と言ってくれた。母の思いに応えるためにも前進あるのみだ。

 サッカー時代のチームメートの存在も励みになっている。サンフレッチェ広島のFW鮎川峻とMF土肥航大はユース時代の同級生。有光がプロテストに合格した時は3人で食事に行き、お互いの健闘を誓い合った。「戦う世界は違うけど2人には負けたくない」

 階級はライト級。世界的にも猛者がそろう層の厚い階級だが、厳しい世界だからこそ挑戦のしがいがある。「まずは全日本新人王を取りたいです」。来年2月に後楽園ホールで開催される「全日本新人王決定戦」のリングに上がり、勝利を収めることが今の目標だ。(デイリースポーツ・工藤直樹)

 ◆有光空大(ありみつ・くひろ)2001年6月16日生まれ。山口県岩国市出身。小学2年の時に「灘スポーツ少年団」でサッカーを始め、灘中時代はサンフレッチェ広島ジュニアユースでプレー。広島・吉田高でも同ユースでプレーした。家族は岩国市の実家に母と弟。身長175センチ。好きな食べ物は肉料理。ライト級。タイプは右ボクサーファイター。

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