【野球】名選手に引退に思う-かつて巨人のエースが体験した、多摩川クラウンドでの手作り引退式
今年も数多くのプロ野球選手がユニホームを脱いだ。熱男こと巨人・松田宣浩氏(40)は10月1日のヤクルト戦(東京ドーム)後、4万1630人のファンの前でスピーチ。万雷の拍手を浴びる引退式を行う名選手もいる。
巨人・長嶋茂雄終身名誉監督のセレモニーは有名だ。1974年10月14日、後楽園球場で発した「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉は、いまも伝説になっている。
数々の引退式に立ち会い、取材してきた。選手やその家族に言動にもらい泣きしそうになったこともある。その中で、元祖・雑草、西本聖氏のそれはまぶたに焼き付いている。第1次長嶋茂雄政権下で、江川卓氏とともに巨人のエースとして活躍。背番号「26」を着け、人気野球漫画『巨人の星』の主人公・星飛雄馬を思わせる、左足を高く上げる投球フォームとシュートを武器に最多勝や沢村賞にも輝いた大投手だ。1974年にドラフト外で入団したという点も人気だった。
対戦チームの担当記者として彼の巨人時代やその後の中日、オリックスなどでの投球を目の当たりにしてきた。だが、1年だけ西本氏を担当した経験がある。それは古巣・巨人の入団テストを受けるため宮崎キャンプに参加した94年のことだ。巨人の二大エースと呼ばれた男が、再びゼロからはい上がろうとする姿を取材し、何度か原稿にした。
西本氏は3月1日にテストを受けて合格し、背番号「90」を与えられて巨人に復帰した。背番号「90」は第1次政権下で、長嶋終身名誉監督が背負っていた番号だ。その数字には2人の深いキズナが込められていたと思う。
ところが、ペナントレースに入ってからは登板のチャンスは巡ってこなかった。結局、現役20年で通算165勝128敗17セーブ、防御率3・20という成績を残し、同年10月13日にユニホームを脱いだ。かつてのチームへの貢献度を考えれば、球団主催の引退試合があっても不思議ではない選手だった。だが、その年、巨人は中日と激しいペナント争いをしており、その話はいつしか立ち消えとなった。
それでも、翌年1月21日にかつての同僚・定岡正二氏らが主催し、巨人・桑田真澄2軍監督や与田剛前中日監督らが集まり、かつて巨人が練習で使っていた、伝説の多摩川グラウンドで“手作り”の引退試合が行われた。そのイベントは多摩川の河川敷で行われたにもかかわらず観客が2000人も集まった。
長嶋茂雄監督も参加。始球式だけの予定が、背番号「90」を付けた西本氏がノーノーを続ける七回二死の場面で代打として登場。三塁内野安打を放ち“大記録”の夢を打ち砕いたのはご愛嬌だったが…。
粋な計らいもあった。長嶋監督が「西本にはかわいそうなことをしたからね。シーズン中に、登板のチャンスを与えようと思ったんだけど(ペナント終盤)もつれちゃったからね」といいながら、自らが着てきたオーストリッチ製のジャケットを脱ぎ、プレゼントした。大々的なセレモニーもいいが、こんな引退セレモニーがあってもいいと感じた瞬間だった。(デイリースポーツ・今野良彦)





