【野球】異色の経歴 修道・八谷監督の挑戦 ドミニカアカデミー職員から転身 ほろ苦だった初めての夏

 広島県内屈指の進学校である修道の八谷智隆監督(38)は広島東洋カープの職員として、ドミニカアカデミーで5年間駐在するなどして、教師へと転身。今春から野球部の監督に就任した。8日、同校は夏の県大会初戦を迎えた。新たな一歩を踏み出した新米監督に迫る。

 唯一無二の道のり-。数年前までカリブの風に吹かれていた男は今、高校野球の監督になっている。八谷監督率いる修道は広島市工との初戦を戦い、6-9で敗戦。初めて夏の大会で指揮を執った指揮官は「采配でこうしておけば良かったなとか思うところがあって…。子どもらには申し訳ないと思います」と肩を落としながらも、選手に温かい視線を注いだ。

 同監督は修道を卒業後、広島大に進学。その後、大学院に通いながら、社会人野球でプレーしていた時に、カープ球団に誘われ、職員として入社した。きっかけは「ドミニカ」だった。

 「広島から出てみたくて。そんな時に『カープならドミニカ(共和国)にアカデミーあるじゃん!』って」。そこから志望理由にも「ドミニカで働きたいから」と記し、面接での猛アピールが実って採用。他の職員と共同生活を送りながら5年もの間、駐在した。

 現地では球団が求める選手像をスカウトに伝えたり、選手の契約をサポートする業務に従事した。練習相手も務め、ロサリオ、バティスタ、メヒア、フランスアなどの鯉戦士を日本へと送り出した。

 ドミニカでは野球の原風景を見た。「道具はそろってなくても、野球のグラウンドが至るところにあって。硬球で小さな子でも大人用のバットをブンブン振り回したり…」。1時間の遅刻は当たり前というおおらかな空気感も性に合った。「仕事がなくても、みんな笑っているんです。陽気というか。人って簡単には死なないんだって、その時に思った」という。

 カープ球団では最終的に計7年勤め、今は元々興味のあった教員の道を歩んでいる。指導方針は生徒の主体性の尊重。「カープってアイデアを採用してくれるので、選手に答えをすぐに与えないというのは、それも根底にあるのかなと思います」と球団への感謝は胸の中にあり続けている。

 敗退後のミーティングでは「楽しく野球を続けてほしいと思います」と3年生に呼びかけた。野球はスポーツ、そしてスポーツの本質は遊びでもある。異国のベースボールに触れてきた八谷監督らしさの詰まった言葉だった。(デイリースポーツ・畠山賢大)

 ◇八谷 智隆(やたがい・ともたか)1986年4月22日生まれ、38歳。広島県出身。修道高で主将を務め、広島大では4年時の秋季リーグ戦でMVP、最優秀防御率、ベストナインを獲得し、リーグ優勝に導く。社会人・MSH医療専門学校で2年間プレーし、広島東洋カープに職員として入社。7年間勤めて退社し、広島みらい創生高、広島市工を経て、現在は修道で体育教員兼野球部監督。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

インサイド最新ニュース

もっとみる

    ランキング

    主要ニュース

    リアルタイムランキング

    写真

    話題の写真ランキング

    注目トピックス