【野球】巨人・長嶋さんに正座させられ食らった説教→「お~い、何やってんだ、おまえら」風呂上がりの言葉に拍子抜けした小俣さん

 長嶋茂雄さんの専属広報を長く務めた小俣進さん(74)は広島、巨人、ロッテなどで13年の現役生活を送った。長嶋監督の第一次政権時代に請われて広島から巨人に移籍し、貴重な中継ぎ左腕として1977年の優勝にも貢献した。選手として仕えた当時の長嶋監督は40代前半、現役を辞めてまだ浅く血の気が多かった。ふがいない投球をした試合後、監督室に呼び出された小俣さんらを待っていたのは…。

 ◇      ◇

 「すごい激しかった。血気盛んなころだったから」

 小俣さんは「監督」と「選手」の間柄だった第一次政権時代の長嶋さんをそう回想する。

 長嶋さんは1974年に38歳で現役を引退し、翌シーズンから監督として指揮を執っている。広島から移籍した小俣さんが1軍に上がった当時は40代前半という若さだった。

 「バリバリ体が動いてたし、自分がまだやれるぐらいの感じだった」

 後楽園のグラウンド入りは一番乗り。分厚いジャンパーを着てランニングをする長嶋監督の姿は小俣さんの印象に強く残っている。

 激しさは、投手が出す四球、打者の見逃し三振に向けられたという。

 「ピッチャーがフォアボールを出したら、“なんで勝負しねえんだ!”バッターがストライクを見逃すと、“なんでバットを振らないんだ!”って。打たれる分には本当に何にも言われないんだけど、本当にフォアボールと見逃し三振が嫌いだった。勝負しないのが一番ダメなんじゃないかな」

 出る投手、出る投手が四球を連発して打たれてしまう悪循環に陥った試合後、監督室に呼び出されたことがある。

 「一緒にやってた連中、西本(聖)だったり、定岡(正二)だったりと監督室に呼ばれて、コンクリートの上に正座させられて。投手コーチの杉下(茂)さんも一緒に正座だよ。“何やってんだ!”って。ユニホームを脱ぎながら怒って、そのまま風呂にパーッと行っって」

 せっかちな長嶋監督は長風呂はしない。脱ぎながら怒りをぶちまけ、風呂に入ると怒りの感情もお湯でさっぱり流していた。わずかな時間で気持ちは切り替えられていたという。

 「風呂から戻って来ると、“お~い、何やってんだ、おまえら。いつまでも。早く早く、体が冷えるから、早く風呂に入れ”って。こっちはエーッってなる。さっき怒って、そこに座れって言ったのにって。正座して待ってたらそれだから」

 当時は監督のけんまくにタジタジだったが、今となっては懐かしい思い出だ。「おもしろかったよ」と頰を緩める。

 監督の直感の強さ、読みの鋭さに驚かされることもよくあった。

 「予言がよく当たった。守備の時にベンチでピッチャーを見ながら、“これはフォアボール出して次に打たれるぞ”とか“これは打たれるな”、“よ~し、ここは大丈夫だ”とかブツブツ言ってるんだけど、ここは大丈夫だって言ったら抑えたり、監督が言う通りになって」

 血気盛んで激しかった時代をともに過ごしただけに、現役を引退して第二次政権時代の長嶋監督の専属広報になった時には、その変化に感慨を覚えた。

 「初めての試合の時に監督がとても冷静だったから驚いた。よく怒られたし一番激しい時を知ってるから」

 13年ぶりに巨人監督として指揮を執った長嶋さんは57歳になっていた。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 小俣進(おまた・すすむ)1951年8月18日生まれ。神奈川県出身。藤沢商(現藤沢翔陵)から日本コロムビア、大昭和製紙富士を経て72年度のドラフト5位で広島に入団。巨人で貴重な左の中継ぎとして活躍した。ロッテ時代に初完投初完封勝利をマーク。現役最終年は日本ハムに在籍。プロ通算13年で174試合に登板16勝18敗2セーブ、防御率4・73。引退後はロッテ、巨人の打撃投手を経て、長嶋茂雄監督の専属広報、終身名誉監督付き総務部主任などを務めた。

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