【野球】大型トレードで巨人からロッテへ移籍した小俣進さん 「5点までは大丈夫だから」監督の言葉に衝撃 先発で活躍しプロ初完投初完封勝利も
左の中継ぎ投手として長嶋巨人のV2に貢献した小俣進さん(74)は、1980年1月に3対2の大型トレードでロッテに移籍した。広島から巨人入りして4年。長嶋茂雄監督に感謝を伝えての新天地への旅立ちだった。豪快なパ・リーグ野球に驚きながらも、プロ8年目でプロ初完投初完封勝利をマーク。先発ローテーションに加わるなど左腕を振り続けた。
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79年の冬。小俣さんの名前は時折、紙面をにぎわせた。
12月14日の契約更改の席上、球団に願い出たのは「自由契約」。自身のチーム内での立場や出番の減少を考えて、「どこかで転機を見つけなければ」と他球団で心機一転したい決意を告げている。
貴重な中継ぎ左腕として優勝に貢献した77年の30試合に始まり、78年も29試合に登板。両年とも57回ほどを投げていたが、79年は投球回が半減していた。
クリスマスに行われた巨人・正力亨オーナーと大洋・中部新次郎オーナーのグリーン会談では、小俣さんと福島智春捕手対、その年の首位打者を獲得した大洋ミヤーン内野手との2対1のトレードが浮上したと大きく報じられた。
正式に移籍が発表されたのは年明け1月10日。相手は大洋ではなかった。小俣さん、庄司智久外野手、田村勲投手と、ロッテの古賀正明投手、小川清一投手の3対2でのトレード。左腕不足に悩むロッテ、右の抑え投手を望む長嶋監督の思惑が一致した。
大みそかには、巨人残留かロッテ移籍か去就が注目されていた張本勲選手の金銭トレードでのロッテ入りが駆け込みで成立しており、それを受けて両球団でさらなるトレードが決定した。
「巨人である程度は投げさせてもらったけど、移籍することで投げるチャンスは巨人より出てくる。寂しくはあったけど、川崎球場は家から歩いて通えるぐらいの距離だったのでね」
前向きに移籍を受け入れた心境を語った。
長嶋監督には電話で報告をした。
「ロッテに行くことになりました、何のお力にもなれず申し訳ありませんと伝えたら、“いいんだ、いいんだ。頑張って来いよ”と。それを聞いて、また呼ばれるのかなと、ちょっと思いましたね」
頑張って来い-。その言葉は耳に残った。
移籍1年目、新天地のロッテで先発10試合を含む26試合に登板。自己最多の6勝(2完封)を上げた。
「山内(一弘)さんが監督で、後期にローテーションで投げさせてもらえた。その時が一番良かったんじゃないかな。生まれて初めて完封したりね、しかも強い阪急と西武相手に」
痛快な投球を思い出してニヤリ笑った。
8月28日の川崎球場での阪急戦は低めに速球を集め、制球も安定。相手打線をわずか2安打に抑えた。プロ8年目での初完封初完投勝利だった。
「このころは、ロッテもよく打ってた。投げる前に山内監督から“5点までは大丈夫だから”と言われてね。普通は“3点までなら我慢する”ぐらいなんだけどね。リー兄弟がいて、有藤(通世)さん、白仁天さん、弘田(澄男)さんがいて。落合(博満)もセカンドを守ってたころ。あの狭い川崎球場でそうそうたる選手がいたから。そりゃあ、5点は取れるなというチームだった。だから投げさせてもらって気は楽だった」
強力打線をバックにマウンドで躍動した充実のシーズンを振り返った。
古巣の巨人は激震に見舞われていた。80年シーズンを3位で終え、球団史上初めて3年連続で優勝を逃した責任を取って長嶋さんは監督を辞した。
「“長嶋解任”が出た時はショックだった。自分たちからしたら、神様みたいな人が辞めさせられたわけだから」
長嶋さんの心情を思ったように小俣さんは表情を曇らせた。(デイリースポーツ・若林みどり)
◇小俣進(おまた・すすむ)1951年8月18日生まれ。神奈川県出身。藤沢商(現藤沢翔陵)から日本コロムビア、大昭和製紙富士を経て72年度のドラフト5位で広島に入団。巨人で貴重な左の中継ぎとして活躍した。ロッテ時代に初完投初完封勝利をマーク。現役最終年は日本ハムに在籍。プロ通算13年で174試合に登板16勝18敗2セーブ、防御率4・73。引退後はロッテ、巨人の打撃投手を経て、長嶋茂雄監督の専属広報、終身名誉監督付き総務部主任などを務めた。





