【野球】元広島・西山秀二さん 球団幹部に引退を申し入れた遅刻事件 やんちゃ時代を振り返り中村奨成にエール

 1990年代の広島を正捕手として支えた西山秀二さん(58)は、プロ4年目の秋、球団に引退する意向を伝えている。米国フロリダでの教育リーグ出発の日に、酔いつぶれて移動の新幹線に乗り遅れる大失態を演じた。南海時代もやんちゃな行動を取っていたが、この時ばかりは若気の至りでは済まされないと覚悟を決め、当時の松田元オーナー代行(現オーナー)に電話をかけた-。

  ◇  ◇

 西山さんが広島に移籍した87年当時、チームの若手選手はシーズン終了後に米国フロリダでの教育リーグに参加するのが恒例だった。初めて1軍出場を果たした89年の秋、出発を前にした西山さんは飲み納めとばかりに町に繰り出したという。

 「1カ月ぐらいアメリカに行って日本を離れるから、飲みに行ったんです。そしたら、朝の出発時間に遅れて。気づいたら集合時間。大目玉をくらって大ごとになったんです」

 飲みつぶれ、気づいた時は広島から東京に向かう新幹線の集合時間。酔いも吹っ飛んだ西山さんは観念した。

 球団関係者に連絡を取り、松田オーナー代行に謝罪の電話を入れた。

 「もうあかんわと思った。完全に自分のミス。オーナー代行に、僕が悪いのは分かってます。このまま辞めて大阪に帰ります、と言うたわけです。プロでやっていく自信がなかった。もう無理かなって思いましたね」

 言い訳もできない状況だった。クビを覚悟した西山さんは、自ら引退する意向をオーナー代行に伝えた。すると予想もしない言葉が返ってきた。

 「まあ待て。分かったから、それはいいからって。俺が許可したってことで今から行け。飛行機で行ったらおまえの方が先に着くから行けって言われたんです。懐深く、寛大な処置をしてくださった」

 南海時代、やんちゃが過ぎて問題を起こしたこともあった。広島に移籍して初めて会った時にオーナー代行から「うちは別に少々やんちゃでもいいから、とにかく野球を頑張れ”」と声をかけてもらっていたが、その度量の大きさを痛感した出来事だった。

 西山さんは、広島を新幹線で出発した一行よりも先に成田空港に到着。針のむしろに座る思いでチームに合流しフロリダに向かった。

 現地では罰として丸坊主にさせられ、朝6時からの1時間のランニングを毎日課せられた。全所持金も没収されかかったが、それは免れたという。

 「そこからよね、もうこれはあかん。これ以上こんなことをしてたらダメだって心を入れ替えて野球をしようと思った」

 野球に対する取り組みの甘さを猛省した当時を振り返った西山さんは、広島の後輩の名前をおもむろに挙げた。

 「中村奨成は8年目でしょう。彼もだいぶ成績が出始めたよね。俺は4年で気づいた。彼は気づくのに8年かかった。彼を見ていて、俺もあんなんやったなってずっと思ってた。人が何を言おうが、わが道を行くで好き勝手やってたから」

 広陵高時代に甲子園で大活躍し2017年度のドラフト1位で広島入りするも、野球以外で注目を集めることが多かった中村奨に、若かりしころの自分の姿を重ねた。

 捕手から外野手に転向した中村奨は今季大ブレーク。プロ入り以来最高の数字を残している。

 「みんな、どこかでちゃんとなるんですよ。もうこれ以上はダメだという時が来る。スイッチが入る。それに早く気づけるかどうか。ミスがあったり、大きな事件があったりして初めて気づくんですけどね。僕もなかなか気づかんかったけど何回も繰り返して、最終的に気づいた。中村くんもこれからが大事やないですか」

 やんちゃ時代を経て、正捕手に上り詰めた自身の経験を踏まえて、後輩の今後に期待を込めた。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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