【野球】ロッテ 地獄キャンプに山本功児氏、バレンタイン氏、川藤幸三氏、落合博満氏の教え 最下位からサブロー流変革の本質

 南国都城でロッテ・サブロー監督(49)が本格始動した。降り立った宮崎空港で「伝説のキャンプ、伊東キャンプを超えるようなキャンプをできたら」。1979年に巨人・長嶋茂雄監督が行った「地獄の伊東キャンプ」超えを宣言。質も量も求める中身の濃い練習を課した。その指導の指針となるものは何か。目指す野球はどんなものか。最下位からの変革を目指すロッテ。新監督の言葉から、“サブロー流”をひもとく。

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 日が暮れるまで続いた秋季キャンプ初日の練習。帰りのバスに乗り込む藤原は「キツいっす。ヤバいっす。みなさんにも1回やってみてほしい」と荒い息。一夜明けて安田は「全身筋肉痛っすよ。なかなかベッドから起き上がれなかった」。鍛え上げたプロの選手も悲鳴を上げる内容だった。

 サブロー監督は「量より質というか量と質」と言う。例えば4組に分かれた打撃回り。フリー、ティー、ロングティーと3組は全力でバットを振る。残る1組はフリーの打球を判断しながら実戦的なベースランニングで全力で10周以上走り続ける。16時からの強化ティーでは360個のボールを、バットを振った直後に次の球が来る“わんこそば”状態で打ち込んだ。

 9時45分から18時過ぎまで、8時間を越える長い練習時間。休む間はほぼない密度の濃さだった。そんなキツい練習中に笑いが漏れる。“ガヤーズ”と命名された選手が、常にガヤで盛り上げる。「楽しくきついのが理想」と明かし、「キツい練習に耐えて、心身ともに、強い選手、チームになってほしい」と願う。

 10月8日の就任会見で「“嫌われたくない”って思う指導者がいると思うんですけど、嫌われても構わない。勝てる、強い選手になるために考えながらやりたい」と宣言した。監督としての根底には、諸先輩から受け継いだものがある。

 背番号「86」は入団直後にコーチ、監督として師事した山本功児さんが背負った。「厳しい、熱い方。朝から晩まで練習に付き合ってくれる監督でした。そこはまねしていきたい」と背番号とともに厳しさも受け継ぐ。入団10年目にはボビー・バレンタイン監督の下でプレー。「ボビーはメジャー流。作戦面とか、そういうところは見習える」と取り入れる方針だ。

 打撃練習ではフルスイングを厳命。これは「川藤(幸三)さんに言われたことがあって。『ティーで120%、フリーでは100%で打て。ゲームでは80%、60%でいい』と」。その意図を「数打つ中でフルスイングができるかっていうところがスイングスピードにつながる」と説明した。

 マシンを使う打撃練習では「ボール球でも全部打とう」と指示。「マシンなので、どこに来るかわからない球にどう反応するか。多少ボール球でもヒットにできるように」と実戦を意識した練習。これは「昔、落合(博満)さんに教えてもらった」と明かす。先人の教えを、現代に生かしている。

 「ダントツの最下位」からの再出発。課題を「バッテリーの問題もあり、攻撃的な問題もあり、守備、走塁。全てにおいて他の5球団には負けている」と分析する。

 目指す野球は「ほんまは打ち勝ちたいけど、それは厳しいんで。ボールも飛ばないし。つなぐ。コツコツ点取っていく。それが一番近道」と思い描いた。自身が“つなぎの4番”として機能した野球はロッテの伝統。その上で、「軸になる選手たちは固定したい」と今季と異なり、ある程度打順は固定する方針だ。

 1点を奪い、1点を守る。キャンプ中はコーチ陣に指針を伝えて練習法は一任した。野手メニューには走塁練習が増え、三本間を最短距離で走る練習も課した。少ない好機を得点に結びつけるためだ。投手陣にはクイックの徹底を指示。12球団最下位だった盗塁阻止率の改善にも着手している。

 座右の銘は「克己」。「現役時代、自分に甘かったので。中学生の時に担任にいただいた言葉なんです。己に勝たないと競争にも勝てない」。ただキツいだけでなく、理にかなったメニューをこなす“サブロー流”。乗り越えて、勝てる集団への一歩を踏みしめる。(デイリースポーツ・鈴木 創太)

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