【野球】「投げに来ないか」王監督の電話で決まった巨人復帰 人の縁が導いた小俣さんの引退後
長嶋茂雄さんの専属広報を長く務めた小俣進さん(74)は、13年間の現役時代に3度のトレードを経験した。広島から巨人へ、その後ロッテに移籍し先発ローテ入りするなど貴重な左投手として活躍。ロッテで5年間を過ごしたのちに移籍した日本ハムでユニホームを脱いだ。引退後のことを「あまり深く考えていなかった」という小俣さんだが、予期せぬ展開で左腕を振ることになった。
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3対2の大型トレードで移籍したロッテに小俣さんは5年間在籍した。先発ローテにも名を連ね移籍1年目の80年は26試合に登板して6勝4敗、82年には27試合に登板して3勝5敗。この2年はいずれも100イニング超を投げている。
登板機会に恵まれなかった84年の11月、3度目のトレードが決まった。巨人時代の先輩だった高田繁氏が監督に就任した日本ハムへの金銭トレードだった。
だが、3球団目の所属先で1軍マウンドは遠かった。
「日本ハムも多摩川の反対側に練習場があってね。そこにいましたね」
巨人時代に汗を流した多摩川グラウンドの対岸、神奈川・川崎側にあった日本ハムの多摩川グラウンドで不遇の時間を過ごしていたころを振り返った。
「なかなか1軍に呼んでもらえなくて、何もできなかった。もうぼちぼち終わりだなと。だから若い選手を応援したり、教えたり、切り替えてましたね」
ロッテ最終年の84年に続き、1軍登板の機会を得られないまま、85年11月に小俣さんは34歳で現役を引退した。72年のドラフトで大昭和製紙から広島に入団して始まったプロ野球人生は、13年で終わりを告げた。
だが、ユニホームを脱いだ小俣さんは、すぐに別のユニホームを着ることになる。
「引退してからのことはあまり深く考えてなかったんだけど、辞めたら有藤(道世)さんから連絡があって、ロッテに手伝いに来ないかって言ってもらって、1年間、お世話になったんです」
ロッテの主力選手に導かれ、打撃投手としてロッテに復帰すると、チームの打者に向けて左腕を振った。
翌年の87年からは巨人に復帰した。
「王(貞治)さんから電話をもらったんです。左のバッティングピッチャーがいないから投げに来ないかって言われて。当時、左投手に(打線が)抑えられてたみたいでしたね」
今度は巨人時代にお世話になっていた王さんからの誘いだった。80年に現役を引退した王さんは助監督をへて84年から監督を務めていた。小俣さんが打撃投手として巨人に復帰したその年、王監督は巨人監督4年目にして初めて優勝を遂げた。
「行った年にすぐに優勝だった。ついてるよね」。裏方となって初めて味わう優勝。チームを支えたことは喜びだった。
小俣さんを巨人に呼び戻した王監督は88年のシーズンをもって退任したが、小俣さんと巨人との縁は続いた。
「王さんが辞めることになった時、自分も辞めようと思った。王さんに呼ばれたわけだから。でも王さんに相談したら、藤田(元司)さんが監督になるから、藤田さんはいい人だから、藤田さんの手伝いをしろよと言ってもらって。それで残ることになったんです」
監督交代により藤田体制となっても左投げの打撃投手はチームに必要とされたのだ。
そして92年秋。藤田監督の後任として長嶋さんが13年ぶりに巨人監督に復帰することが決定した。小俣さんの人生は、めまぐるしく動き始めようとしていた。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇小俣進(おまた・すすむ)1951年8月18日生まれ。神奈川県出身。藤沢商(現藤沢翔陵)から日本コロムビア、大昭和製紙富士を経て72年度のドラフト5位で広島に入団。巨人で貴重な左の中継ぎとして活躍した。ロッテ時代に初完投初完封勝利をマーク。現役最終年は日本ハムに在籍。プロ通算13年で174試合に登板16勝18敗2セーブ、防御率4・73。引退後はロッテ、巨人の打撃投手を経て、長嶋茂雄監督の専属広報、終身名誉監督付き総務部主任などを務めた。





