4年連続で戦力外通告の左腕は今 「逆境はトレーニング」トライアウト受験者にエール
「日本プロ野球12球団合同トライアウト」が8日に開催される。昨年は日本ハム・新庄剛志ビッグボスら56選手が参加したが、NPBに復帰できた選手はほとんどいない。かつて4年連続で戦力外通告を受け、入団テスト、トライアウトに挑み続けた男がいた。近鉄、阪神など4球団を渡り歩いた左腕・柴田佳主也さん(53)だ。現在、スポーツデポ天王寺店のベースボールアドバイザーとして働く傍ら、休日はボランティアで近大泉州のコーチを務めている。
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挫折を繰り返しながら14年もプロの世界を生きてきた苦労人は「狭き門ですけど、どこかで見ていてくれる人がいると信じて、最後まで全力を尽くしてほしい」と、トライアウト参加者にエールを送った。
1990年度ドラフト4位で阿部企業から今はなき近鉄に入団した。5年目に1軍デビューを果たし、左のワンポイントリリーフとして活躍。01年には42試合に登板しリーグ優勝に貢献、ヤクルトとの日本シリーズでも5試合中4試合に投げフル回転した。
しかし、オフに無情な宣告を受けた。「キャンプにも行くものだと思っていた」と当時を振り返った柴田さん。日本シリーズが終了して間もなかった11月、球団幹部から「自由契約や」と戦力外通告を受けた。「投げて抑えたやん。クビかよーって」。頂上決戦で大車輪の活躍を見せたものの、若返りを図るチーム方針から構想外となった。
ここから日本ハム、阪神、ダイエー(現ソフトバンク)と1年ごとに戦力外通告を受けることになり、4年連続で入団テスト、トライアウトを受験した。
「テスト、テスト、何回テストすんねんってくらい受けましたよ」。何度も押されたプロ失格の烙印(らくいん)。ただ、簡単に諦めることはできなかった。「しがみつくというか、すぐにはやめられない。ずっとやってきたことですよ。アカンって言われてもやっぱりやりたかった」。現役にこだわるが故に迫る不安は、今でも忘れられないという。
「戦力外通告のテレビを見てても、つらいやろうなと思う。プロ球団からは大体すぐ(電話が)かかってくる。待った末に、かかってきたと思ったら社会人、独立(リーグ)。もう、ずっと電話でしたね」
ダイエーを戦力外になった後のトライアウトでは、柴田さんの電話も鳴らなかった。「かかってきていたら(社会人、独立リーグでも)続けるつもりだった。ただ、これだけ落ちたらかけるところもないやろうと」。最後の最後まで挑み続けた末に、現役生活に区切りを付けた。
引退後は、06年からスポーツデポのベースボールアドバイザーとして勤務。休日はボランティアで近大泉州の外部コーチを務めている。
娘の祐里菜さん(22)は第52期サンテレビガールとして活動しており、将来の夢はアナウンサー。昨年は古巣・阪神の試合を現地で一緒に観戦するなど、ともに野球を楽しむ仲であり「アナウンサーになってほしいですけどね」と背中を押す。
日々プレッシャーと戦い続けた現役生活。高校球児たちには「変化を恐れない心」を伝えている。本格派左腕として入団した柴田氏は「何かを変えないと」と3年目で横手投げに転向した。
アマチュア時代に積み上げたスタイルを思い切って崩した結果、チームの危機に登場する左のワンポイントリリーフとして地位を確立。235試合連続登板機会敗戦なしのプロ野球記録は、今も破られていない。
緊迫した場面のマウンドに上がり続け、4度の戦力外通告を受けながら3度復活した。逆境に立ち向かい続けた男は言う。「逆境はトレーニングですよ」。人生の岐路に立つ選手へ、力強い言葉を贈った。(デイリースポーツ・北村孝紀)