勝利の山菜巻で悲願の全国制覇へ 巨人の逆転日本一を演出した縁起物~PL学園元主将清水孝悦さん語る
PL学園野球部主将として1984年の甲子園大会で、春夏連続準優勝を経験した清水孝悦(たかよし)さん(56)が現役、指導者時代を振り返るとともに、家業のすし店を継ぐ二代目の心意気を語った。
◇ ◇
清水さんは現在、生まれ故郷の大阪府藤井寺市で、すし店「ふじ清」を営んでいる。父庄治さんの跡を継いだ二代目店主。大会が始まると、いつも「熱いものがこみ上げてくる」と言って球児たちに声援を送る。
「僕は厳しかったと思います」
PL時代は捕手、そして自他共に認める鬼主将だった。2年の時は1学年下の桑田真澄、清原和博を同部屋に指名するなど、寮生活での教育係的存在でもあった。
1984年の選抜大会は岩倉、選手権大会は取手二にいずれも決勝で敗れ、最後まで頂点に立つことはなかった。ただスター選手を後輩に持つ難しさを感じる反面、チームはまとまっていたという。
「同期に恵まれてました。副キャプテンの岩田(徹=元阪神、現大阪偕星野球部監督)が助けてくれて。僕をなだめたり盛り上げたり。僕が言うとカドが立つこともフンワリ収まりましたから」
同志社大学卒業後、家業を手伝う傍らコーチとして2002年まで14年間、母校を指導。福留孝介や松井稼頭央、今岡真訪、坪井智哉、入来祐作、サブロー(大村三郎)、今江敏晃、前川勝彦、宇高伸次、野々垣武志、平石洋介ら多くの選手をプロ野球界へ送り出した。
その確かな指導力と人望の厚さから、中村順司監督退任(1998年選抜大会まで指揮)後の後任監督に決まっていたほど。それが降って湧いたような学校側の事情で流れたのは残念だった。
「ふじ清」は藤井寺一番街商店街の中ほどに位置し、すぐそばに西国第五番札所の葛井寺(ふじいでら)がある。寺への参道でもあり、近鉄バファローズがフランチャイズを置いていたころは賑わいを見せた商店街も、「最近はあまり活気がない」という。
今、清水さんは看板商品でもある「山菜巻の全国展開」を計画している。かんぴょうと高野豆腐の代わりにわらび、しいたけ、たけのこ、きくらげ、大葉、キュウリ、タマゴ、おぼろが入る「オヤジがアレンジして開発した」オリジナル巻ずしの“版図拡大策”だ。
1989年、近鉄と巨人の日本シリーズでこんなことがあった。
藤井寺球場で行われた第6戦で巨人側の注文に応じ、「ふじ清」の山菜巻を昼食用に用意したところ、逆転勝ちして3勝3敗の五分に持ち込んだ。
翌日、藤田元司監督が「きのうのすしはないの?」とチームマネジャーへ催促したため第7戦も届けると、また勝った。3連敗後の4連勝。巨人に逆転日本一をもたらしたことで庄治さんが「勝利の山菜巻」と命名した。
かつて庄治さんが、近鉄合宿所「球友寮」の調理場を任されていた関係で藤井寺球場と縁をもつようになったが、この時ばかりは巨人との縁が勝ったようだ。
昨年、庄治さんが86歳で他界し、清水さんは決心した。
「オヤジの財産を守り、お客様に元気を!町に活気を!」
桑田、清原を擁しても成し遂げられなかった全国制覇の夢は“オヤジの作った山菜巻”に託される。(デイリースポーツ・宮田匡二)