ハイヒール・リンゴ BPO「痛みを伴う笑い」審議入りに「『見せない』『映さない』で本当にいじめはなくなるの?」

 「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー番組」が、放送倫理・向上機構(BPO)で審議されることが決まったそうです。賛否両論あると思いますが、私的には首をかしげてしまいました。

 私たちの世代は「アホやから吉本行き!」「ブサイクやから吉本行け!」「そんな時代はうちの相方で終わったんです」「誰がや!」という掛け合いが鉄板ネタとして受けたものでしたが、今や夢物語。「3時のヒロイン」が自分たちで「ブサイク」と言う事すらダメと言われる時代。ですがそもそも「笑い」って緊張と緩和の「落差」が命。誰かを傷付けたりおとしめたりするのではなく、自分で自分を落とす「自虐ネタ」ぐらいは許して、と思ってしまいます。

 この一件でダウンタウンの松本君が「若い世代が心配」と言っていましたが、私もその気持ちになってしまいます。きっと若い子たちは又、違う笑いを模索し、作り上げていくとは思いますが、それでも一つのコンテンツがなくなる事は確か。ただ、「若手芸人」とは言ってもテレビに出てギャラを頂いているのですからもちろん「プロ」。プロですから、たとえ新人でも、そんなに痛くなくても痛そうに見せるのがプロとしての力、そして商売なのです。その世界と「現実は違う」「してはいけない」と教えるのが本来の教育のはず。それを「見せない」「やらせない」で解決しようというのは、どうなのでしょう。

 見せないことで蓋をして、表面上は整ったつもりになっても、結局は水面下で広がっていくもの。小学校で「あだ名」が禁止されても、子ども同士で実はあだ名で呼び合っているのと同じです。映画では人がバンバン殺されたり、ドラマでも食べ物を粗末にしていたりするシーンもあるのに、なぜバラエティーばかりがこんなに目の敵にされるのか。

 どんどん規制を強めた結果、視聴者がYouTubeやネットフリックスに逃げていくのは目に見えています。YouTubeには再生回数を稼げれば何でもいい、という動画も少なくありません。オススメ欄には検索しなくても、残虐な動画や破壊を楽しむ動画も出てくる。私の知人で孫ぐらいの世代の子曰く「ほとんどテレビを見ない」そう。実際、検索の仕方とか子どもの方が大人よりも上手。そんな子たちが「怖いもの見たさ」で簡単に見られるのです。もはや「YouTubeは自ら見に行かないと見られない媒体」ではないのです。「スイッチを入れると誰でも見られるテレビという媒体」だけを標的にするというのも時代に合わないのではないでしょうか。

 方やテレビ各局は「13~49歳のファミリーコア層の視聴率を上げたい」と番組改編が盛んに行われています。でも現実の13歳はあまりテレビを見ておらず、「テレビが大好きな」50~70代の世代が見たい番組はどんどん打ち切られていく。なんだかとても切ないです。

 最近錦の御旗のように言われる「いじめにつながる」という言葉も軽々に使ってほしくない、と思います。本当に大切なのは「なぜいじめがいけないのか」を教え、自分で考えさせる力をつける教育。「見せない」では何の解決にもならない。「他人を笑うこと自体が人間の尊厳を傷付け、いじめにつながる」と指摘される側面は否定はしませんが、生きていく中ではどうしても、誰かに傷付けられたり、意図せず誰かを傷付けてしまったりする場面も出てきます。義務教育の間なら守られているかも知れませんが、社会に出てからはそうもいかない。それはテレビのバラエティーだけ蓋をしても変わらないと思うのです。

 ネットなどで「テレビ」がオワコンとか言われるのは本当にさびしく感じます。このままの流れででいいのかな。テレビを見るのも、テレビに出るのも大好きな人間の一人として、そんなことを思うのです。

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