才能開花で“ボイル化”していく男性
以前にも書いたスーザン・ボイル女史の如く、新たな才能を開化させ披露し続ける藤村忠寿氏。あの伝説的な番組『水曜どうでしょう』の名物ディレクターだった同氏と共に、長年に渡って番組制作を行い、なおかつ同氏と「藤村源五郎一座」を立ち上げたもう1人の男。それこそが、今回の取材対象である“うれしー”こと嬉野雅道氏だ。
嬉野氏は番組内では名物カメラマン&ディレクター。今年に入って初のエッセイ本『ひらあやまり』(KADOKAWAから出版・発売中)を発表するなど、実に精力的に活動している。
嬉野氏も「藤村源五郎一座」のメンバーとして活動しているのだが、その役割は俳優としてではなく、講談師、いわばストーリーテラーとして参加している。カメラマンが講談師?ましてや舞台?以前にも書いたが、藤村氏いわく「嬉野さんが物語りを語ってくれるとお客さんが入りやすいんだよ」とのこと。しかし、実際のところはどうだろうか?
テレビマン、それも業界では伝説的な番組を作った人物である。舞台の語り部的な役割に抵抗は無かったのだろうか?さっそく本人に聞いてみた。
-講談師というのをやってみて、実際どうでした?
「最初は、そんなことをやった事もないですから、本当に大丈夫か?という思いもありましたよ。そりゃあ、でもね、やってみて分ったんだけど、嫌いじゃなかったんですよ。これが意外と楽しいというかね。成る程、自分にはこんなことも出来るんだ。という発見のような感覚もありましたしね」
-では、最初はやるつもりはなかった?
「いや、そんな事は考えた事もなかったというだけですよ。ただ、まぁ、藤村さんとここの人たち(一座、座員)が皆で口を揃えて『先生、素晴らしい!』と褒めてくれるもんだから、妙に安心というか納得しちゃってね、それならやってみるか。となったんです」
-挑戦してみていかがでした? 「楽しかったですよ。それこそ、ここは何だか居心地が良くてね。『(水曜)どうでしょう』を撮ってる時もそうだったけど、それぞれがそれぞれの持ち場でやれることをやる。それで成立してる感じが実にいいですね」
-エッセイの執筆などにも挑戦されてるようですが? 「うん。最初はそれも出来るかどうか分らない感じだったんだけど、本を出しましょうと言ってくれた人が、内容も何にも決まってないときに、本のタイトルだけこれでいきましょう!ってきて、それが『ひらあやまり』なんてタイトルで、何かコレは良いんじゃないの?って思えてね。そしたら、それだけで本を書くということも楽しめる物の一つになったんだよ」
-楽しめる事が、どんどん増えてる感じですね
「うん。本当にそうだと思いますよ。ここ(一座)の演出の(黒羽)さえりさんに『先生は、そこにいらっしゃるだけで皆に安心を与えられる方です』なんて言われてね、居るだけで良いなんて先ず言われないでしょ?そう思えたら後は楽しいと思えることだけやっていくのもアリかな?みたいな感じ思えたんですよ。だからね『どうでしょう』を撮ってた時みたいに楽しくテレビの仕事もやっていきますよ。まぁ、楽しいばかりじゃない時も在るんでしょうけどね」
存分にその思いを語ってくれた嬉野氏。彼もまた、スーザン・ボイル女史のように、新たな才能を開化させ“ボイル化”していく男性のようである。彼の関わる楽しいことが、きっと見る側の我々も楽しい気持ちにさせてくれるのは間違いないだろう。
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嬉野雅道(うれしの・まさみち) 1959年7月7日、佐賀県佐賀市生まれの56歳。東京の大学卒業後、フリーの映像ディレクターとして活動後、1996年に北海道に渡って札幌の「miruca(エイチ・テー・ビー映像」のディレクターに就任。『水曜どうでしょう』の前身『モザイクな夜V3』を演出し、さらにHTB社員の藤村忠寿氏と組んで96年秋に『水曜どうでしょう』を立ち上げる。2010年4月にHTBに移籍。藤村氏が立ち上げた『藤村源五郎一座』では講談師を務めている。