nWoJAPAN快進撃も首負傷で長期欠場
nWoと手を組むために97年初めに新日本プロレスを離れてWCWと契約したところまで話をした。だけど、この世は何が起こるか分からない。自分は家内とアメリカのアトランタにアパートを借りて1年間はいるつもりでいたのに、1カ月もたたないうちに新日本から「やっぱり帰ってきてくれ」と連絡が来たんだ。
なぜそうなったのか。自分が最初に出たnWo単独のペイパービューが日本で報じられた。自分が向こうに行くことで、あまり日本に情報が入ってこなかったnWoがどういうものなのかが伝わって、その盛り上がりを見て、「帰ってきてくれ」となったんだ。
自分はnWoの一員としてスコット・ノートンら外国人と組んで2月に新日本に帰ってくると、観衆の反応が違った。ものすごい歓迎。優勝したわけでもベルトを獲ったわけでもないのに爆発的なものがあって、アメリカでやっている勢いを感じたよ。そこから狼群団の天山広吉、ヒロ斎藤さんも加えてnWo JAPANとなると、グレート・ムタ(武藤敬司)も引き込んで勢力を拡大。98年8月には自分が藤波辰爾さんに勝って、初めてIWGPヘビー級王者になった。だが、それが大きな転機にもなった。首のケガのためだ。
自分にはポイントポイントで首のケガがついて回る。92年に一度悪化したけど、このときはダメージが蓄積されていたところに、藤波さんのドラゴンスリーパーが変な形で入った時に痛めたと思う。
それでも、次のシリーズは最終戦でIWGPの防衛戦があるから我慢して出続けた。だけど、1週間ぐらいして、あまりにも状態がひどくて精密検査を受けたら、頸椎が3カ所つぶれていると。下手したら半身不随。医者から「やめなさい」と言われたけど、次の試合はどうしても休めなかった。そして、その試合の後、パンツを脱いだらドバーッと小便が出たんだ。知らない間に体がマヒしてしまって。そこで、ヤバいとなって長期欠場することになったんだ。(プロレスラー)