吉田義男氏お別れの会 岡田顧問がらしさ溢れる弔辞 師弟で見解分かれた巨人戦の江川からのバント談議披露「サイン出てましたよ」
阪神タイガースで監督を務め、2月に脳梗塞で91歳で死去したことが発表された吉田義男氏の「お別れの会」が25日の午後、大阪市内で行われた。
タイガースカラーの黄色の花で彩られた祭壇に吉田氏の現役時代と監督時代と近影の3つの遺影が並べられた。偉大な過去を振り返る動画が流された後に第1部が始まり、藤川監督を先頭にチームが順番に献花を行った。第2部では阪神・岡田彰布オーナー付顧問が弔辞を行った。
岡田顧問は「監督、大事な時に声が出ないんです。体調壊して、本当もっとたくさん語りたかったんですけど、聞きづらいかもわかりませんけど、監督聞いてください」と切り出すと、「また一緒にゴルフや食事に行けると思ってたのに、この度の訃報、信じられません。悲しく寂しい思いでいっぱいです」と、故人に語りかけた。
「私が初めて同じチームになったのは2度目の監督に復帰された1985年のシーズンでした。シーズンオフに吉田さんから二塁いけるか?と、外野でずっと過ごしてた自分が聞かれた時は、即答で行けます!と返事すると、セカンドへのコンバートを即断してくれました。その後の高知・安芸のキャンプでは日が落ちるまで想像を絶するほどのハードなノックで鍛えられ、二遊間コンビを組んだ平田とともにディフェンスの大切さをたたき込まれました。野球やってて守りで攻めろと言われたのは吉田さんが初めてでした。吉田さんのおかげで個人としては打率、本塁打、打点ともにキャリアハイの成績を残すことができ、私にとってはプロ野球人生の転機、チームとしては50周年の節目の年に初の日本一を達成することができました」
「3度目の復帰をされた1998年は現役を引退して2軍助監督をしていた私をファーム打撃コーチとして呼び戻していただき、今度は監督とコーチの立場で野球の勉強をさせていただきました。今年阪神タイガースは創立90周年を迎えます。長い歴史の中で日本一を成し遂げたのは2回しかない中、吉田さんは成し遂げた当時唯一の監督です。2023年に私が監督として成し遂げることができたのは当たり前のことを当たり前による吉田イズムを学ばせていただいたおかげです。阪神タイガースに日本一の強さを注入してくれた吉田さんは球団一番の功労者であり、私にとっては感謝しきれない大恩人です」と、吉田氏との歴史に思いを巡らせた。
そして、吉田氏と見解が違っていた出来事も明かした。「ひとつ今でも話の食い違いがあります。巨人戦での江川からのバント談議です。俺はサインを出していないと今でもこだわっていた吉田さん。ほんとはバントのサイン出てましたよ。3球目まではバントのサインでした。1ストライク2ボールになったらエンドランに変わるかなと思ってたら、本当にエンドランのサインが出ました。案の定レフトスタンドにホームラン打って、その試合勝ちましたよ。あれが最初で最後のバントのサインでした。これが本当の真実です」と話し、師弟のらしさ溢れる思い出に会場からも笑い声が上がった。
岡田氏は最後に「伝統球団であるタイガースはこれからもずっとファンに愛される強いチームであるために、時代が変わっても吉田イズムを継続していかなくてはならず、それが私の役割だと思っています。その姿を温かく見守ってください。本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください」と、結んだ。
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