阪神 甲子園歴史館で「藤村富美男監督退陣要求書」を一般公開 粟井球団社長「史実に学ぶことが一番の目的」
阪神は4日、西宮市内の甲子園歴史館で「藤村富美男監督退陣要求書」を同日から一般公開すると発表した。
同書は1956年11月20日に当時の藤村富美男監督に対して金田正泰を中心とした選手らが解任を求めた連判状。粟井一夫球団社長(61)は球団事務所で「90周年のタイミングで責任を持って公開することで自分たちも含めて考えたい。史実に学ぶということが一番の目的」と経緯を説明した。今年は吉田義男氏、小山正明氏が亡くなり、連判状に名前を連ねた全員が鬼籍に入ったことも公開する要因となった。
球団内では賛否両論があったという。「よく黒歴史を出したなということだと思うんですけど」と粟井社長。秦オーナー、電鉄本社と思いを共有した上で藤川監督とも話して公開に踏み切った。
粟井社長は生前の吉田氏とのやりとりも明かした。「吉田さんは『自分としてはそんなつもりじゃなかった』とおっしゃっていた」。同文書を公開することで「ちゃんと皆さんに伝わると『藤村さんもそんなに悪い人じゃない』というふうになるだろうなと。連判状だけを取るとすごい悪い人みたいになるんですけど。でもそんな話は聞いたこともない」と名誉回復に期待を寄せる。
「僕らの学びは、そういう歴史の上にわれわれが立たせていただいている。強いチームでファンに愛されるチームであり続けるというのは、勝つことが大事。勝つために何をせなあかんかというと“ヒトモノカネ”がちゃんと提供できるように。親会社も一緒です」。チームは7年連続Aクラス入りし、ここ3年で2度のリーグ優勝、2023年には日本一に立った。過去の歴史から学び、今後も常勝軍団を築いていく。
◆藤村排斥事件 1956年オフに、阪神の藤村富美男選手兼任監督の退任を求め、選手らが決起した事件。主将の金田正泰をはじめ、主力選手だった真田重蔵や吉田義男、小山正明らも連判状に名を連ねた。新任の戸沢一隆球団代表は12月4日に、藤村監督の留任を発表。同時に金田、真田と翌年の契約を行わないと言明した。戸沢代表は選手たちを粘り強く説得し、金田の復帰を決定。戸沢、藤村、金田の3者がそれぞれ声明を出し、2カ月以上にわたった混乱は収束した。
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