阪神・近本の言葉はよどみなく、そつなく、すらすらと「兵庫県から出たことないんです」【19】

 阪神は名古屋、横浜と続いた夏のロードは5勝1敗と、最高のスタートを切った。岡田彰布監督の表情も柔らかい。「表情って、この歳になったら顔や頭や、そんなもん何にも気にならんわ」と本人は笑っていた。

 ロード中の気分転換は、サウナで汗を流すこと。今はやりのサウナで整えるとかいうのではなく、選手時代から熱いサウナでリフレッシュしていた。名古屋ではなじみのサウナと焼き肉で英気を養った。

 「甲子園が暑かったから、体重4キロ減ってたわ。73キロやけど、まあこれくらいでええ」。焼き肉と言っても若いころのように、大勢で繰り出してとにかく量を食す、ということもなくなった。上等なタン、ホルモン、薄切り肉、軽めのガーリックチャーハンで仕上げる。

 甲子園では高校野球が始まった。地元兵庫県代表は2年連続の社高校。「やしろ」と聞くとわたしは、いまでも全身の血が騒ぐ。1974年、夏の兵庫県大会準々決勝で龍野高校は社高校に0対3で敗れた。わたしは龍野の3番捕手、主将だった。ベスト8で甲子園への道は断たれた。

 六回まで0対0。七回に内野守備の乱れとスクイズで3点取られた。「勝つチャンスはあった。あのスクイズは外せた」と49年を経た今でも思う。高校野球あるある。夏の一瞬は、鮮やかな映像で永遠に残る。

 「君のお父さんは、龍野で野球やっていたか?」。娘が神戸市内の中学生のとき、先生に聞かれた。改発という珍しい名前が、忘れられなかったのだろう。その先生は3回戦で、わたしがサヨナラ打した神戸高校の選手だった。

 「おれのこと分かるか」。名刺を見て顔を確認した。「おお社の四番…。カーブを待って打たれた」。デイリーの社長室に大手広告会社の社長として挨拶に来た。

 「わしあのとき、カーブしかよう打たんかったんや」。勝ち負けの数だけ、忘れられない瞬間がある。社の三番遊撃は2年生で、後に社監督となる森脇忠之さんだった。三遊間を「抜けた」と思った私のゴロを、楽々一塁アウトにされた。

 弟がオリックスで岡田監督と一緒だった森脇浩司さんだ。岡田監督と飲んだ席に、森脇コーチもいた。「そうですか」と思わぬ縁に話が弾んだ。兄の森脇さんとはその後、お会いする機会はない。ところが今度は2018年のドラフト1位で阪神・近本光司選手が誕生した。やしろ高校…。

 近本には2019年オフ、デイリー制定・猛虎感動大賞の表彰で、神戸本社に来てもらった。親会社は神戸新聞だ。

 「神戸新聞、淡路の実家でずっと取ってます。デイリーもこれから取らせてもらいます。僕は淡路から社、関学、大阪ガス、阪神ずっと兵庫県から出たことないんです」

 名刺を渡すとよどみなく、そつなく、すらすらと相手の立場を意識した言葉が口をついた。新人で盗塁王や最多安打と、話題を一手に引き受けたプロ初めてのオフだった。

 森脇監督は社で、近本の恩師になる。龍野高校との因縁を一通り話した。「それはそれは、監督ならびに先輩たちが、改発社長の高校野球人生に対して、多大なる失礼をいたしました」と近本はにこにこしながら頭を下げた。

 夏のロード。幸先のいいスタートに、岡田監督は投手では島本の名前を挙げた。野手では8月打率・407の近本だろう。近本との因縁を岡田監督に話した。「近本なあ、100パーセントでないとスタートを切らない、そんなタイプやなあ」。わたしはうんうんとうなずいた。(特別顧問・改発博明)

 ◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。

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