元阪神マートンの日本での活躍を支えた米国人 「マートンのおかげで僕には新しい夢が与えられた」
「神のみぞ知る」という言葉があります。まさにその通りだと思う。夢の実現には、自分の努力以外の要素も大きい。今回紹介するアメリカ出身のウィル・トンプソン氏の夢は「日本でプロ野球選手になる」だった。そんな彼は紆余曲折を経て、違う形で“夢”に携わるようになった人物です。
彼は子供の頃、父親の仕事関係で5年間東京で過ごしている。来日中の1995年、当時7歳だったトンプソン氏に仕事中のお父さんから電話がかかってきた。「早く宿題をやれ!一緒に神宮へ行こう!」。初めての日本プロ野球観戦。憧れたのはヤクルトスワローズ正捕手の古田敦也選手だった。
地元の少年野球チームにも入団。その頃、通っていた東京バプテスト教会で、本塁打王にも輝いたホージー選手(ヤクルト)と出会った。交流が深まるとホージー選手は彼が所属するチームで野球教室を行い、さらに夢が膨らんだ。
「アメリカに戻っても、いつかはプロ野球選手になり、日本に戻るんだ!」
そんな夢を抱いたトンプソン氏には、心から愛しているものが3つあった。野球と日本とイエス・キリスト。一番の理解者は父親で、帰国後の父子は、ことあるごとに地元ジョージア工科大学のスポーツ観戦に向かった。
偶然にも当時の同大学野球チームの主力選手が、のちに阪神タイガースで大活躍するマット・マートン選手。敬虔なクリスチャンである同選手とトンプソン氏の間には、いつしか友情関係が生まれた。
成長するにつれ、野球選手の夢に見切りをつけたトンプソン氏。それでも「日本に戻りたい」という気持ちは消えなかった。米国帰国後も日本語の勉強を続け、大学時代は東京の国際基督教大学に留学。ちょうどその頃、マートン選手が阪神タイガースと契約を結ぶことになった。
入団に先駆けて同選手は、トンプソン一家から日本の生活やプロ野球についていろいろとアドバイスを受けた。その甲斐もあって、入団1年目からシーズン安打記録を塗り替えるなど大活躍。一方で同選手は、阪神在籍中も野球教室、教会での講話など、たくさんの“信仰活動”を続けた。そんな活動を陰で支えたのがトンプソン氏だった。もちろん今年7月にマートン一家が来日した際も大活躍。来日中は少年野球教室、教会での講話など様々なイベントに参加して日本に恩返ししたマートン氏だったが、舞台裏を調整していたのがトンプソン氏だった。
「僕の『プロ野球選手』という夢はマートンが実現してくれた。活躍を身近に見ることができて嬉しかったよ。野球選手として日本で自分の信仰を活かして行くことが、まさに僕がやりたかったこと。マートンのおかげで僕には新しい夢が与えられて、今はそれを追求している」
「新しい夢」は、マートン氏のようなクリスチャンを海外に送り出し、現地で彼らの生活サポートをすること。アメリカ発祥のFCA(フェローシップ・オブ・クリスチャン・アスリート)は日本にも拠点があって、また、アジアの諸国にも拡張している。トンプソン氏は今、アメリカで生活しながらアジアに度々足を運び、たくさんの選手を支えている。元の夢と形が違えど、努力を続けることで自分の3つの大好きなもの(野球、日本、イエス・キリスト)に携わっているというのは本当に素敵なこと。これからもトンプソン氏の活躍を応援したい。
◆トレバー・レイチュラ 1975年6月生まれ。カナダ・マニトバ州出身。関西の大学で英語講師を務める。1998年に初来日、沖縄に11年在住、北海道に1年在住した。兵庫には2011年から在住。阪神ファンが高じて、英語サイト「Hanshin Tigers English News」で阪神情報を配信中。