次の角を右に曲がる
【1月14日】
金本知憲は阪神監督時代、あるレジェンドにコーチ就任を打診していた。ともに03、05年の歓喜を味わった生え抜きの男には、しかし、快諾できない理由があった。コーチ業を全うできない壁…。
「体のことがあったからな…」
金本が1軍の組閣でぜひとも加わって欲しかった僚友とは、レッドスター、赤星憲広である。
09年、中心性脊髄(せきずい)損傷からの回復が困難との判断がくだされ、9年間のプロ野球人生に幕を閉じた。新人時代から5年連続盗塁王を達成(セ・リーグ記録)するなど、彼の快足は無敵、無類だった。
「毎日ノックを打つことは厳しいようです」。複数の球団関係者に聞けばやはり持病が壁になったようだけど、当時の赤星を間近で取材した当方からすれば、夢のような時間をもらった思いがある。
前回、桑田真澄の巨人コーチ就任の話を書いた。どんな経緯があるにせよ、生え抜きのレジェンドが再びユニホームを着るその事実だけは羨ましくも映り、一方でGで桑田と同時代を生きたもう1人のレジェンド、川相昌弘が阪神の臨時コーチを担うというので、何だかレッドが恋しくなり…。
和田豊監督時代の12年、赤星は春季キャンプの臨時コーチに呼ばれたことがあった。この年に限って僕はサッカー担当で「赤星コーチ」を見ていない。だから、余計にもう一度の思いは募る。とはいえ、現スタッフの指導力が他に劣るとは思わないので、あくまでここで綴るのは妄想だけど、赤星の凄みをあらためて確かめてみた。
「俊足でスタートのいい選手は結構いますけど、赤星さんが他を圧倒してなぜあれだけ盗塁できたのかといえば、一番は勉強量だと思います。皆、投手のクセをよく勉強しますけど、先発投手以外はおろそかになることが多い。赤星さんの場合、場面のこだわりも強くて、『ここ一番で走りたい』思いが強かったので中継ぎも、抑えも、全部、研究してたんですよ」
赤星オーナーの中学硬式野球、レッドスターベースボールクラブで監督を担う狩野恵輔がそんなエピソードを教えてくれた。
感心したのは、61盗塁を記録した03年。僕が全盗塁を写真に焼いて(ほぼ二塁へのスライディングシーン)アルバムをつくり本人にプレゼントすると、赤星は画像に写っていないバッテリーを全て言い当てた。本人からすれば当然かもだけど、あれは唸った。
「あとは観察力。街でも、前を歩いている人を見て『あ、この人次の角を右に曲がるな』とか考えるらしいんです。人ってクセが出るんでしょうね。投手が打者へ投げるときのクセ、牽制のときのクセ、それらすべてに繋がっているのだと思います。赤星さんは『昔から、そういうのをついつい見てしまうんよ』って言ってました」
狩野は捕手目線で、「僕がマスクかぶっていたら、こんなにイヤな選手はいない」という。
赤星がタテジマを脱いでもう12年。「いつかまた」の思いは僕だけじゃないのでは…。=敬称略=