第5戦で投げたかった男

 【10月29日】

 18年前の日本シリーズにもし第5戦があったら…。当時、そんなことを考えた。第1戦は9点差、第2戦は10点差、第3戦は9点差…大敗ばかりで嫌気がさしていたが、第4戦だけは接戦になった。

 スコアは2-3。結局、甲子園でボビー・バレンタインの胴上げを見せつけられたわけだけど、岡田阪神が第4戦を取っていたらどうだったか。奇跡的な大逆転日本一もあったのでは?そんなふうに考えたりもした。

 05年のV戦士の中には「あれはシステムがおかしかった。あんなの日本シリーズじゃない」と振り返るOBもいる。片やプレーオフを戦ったパの王者ロッテと、片やプレーオフ制度がなく、パの決着を待たされる形になったセの王者とでは、実戦間隔が違い過ぎたわけで。フェアじゃなかったと言われれば、そうかもしれない。阪神が試合勘を取り戻した頃には…確かに、モヤモヤは残った。 

 「ボビー(バレンタイン)から第5戦の先発を伝えられていました。日本一を決めた甲子園の第4戦は、正直に言えば、ちょっと複雑な思いで見ていました。4連勝なら自分の登板はなくなる。僕も若かったですし、気合いも入っていましたから。やっぱり投げたい気持ちが強かったですしね…」

 久保康友である。

 阪神にも在籍した彼とは縁あって家族ぐるみの付き合いがある。この日、取材へ向かう前に西宮市内で待ち合わせ、あらためて18年前の胸中を聞かせてもらった。

 05年は新人王に輝き、頂上決戦も先発の一角を任された。

 「あの年は交流戦で阪神戦に先発して金本さんにホームランを打たれて負けたんですよ。フォークボールを体勢を崩しながらスタンドまでもっていかれて。うわ、やっぱり、すごいな…って。だから日本シリーズで、もう一度、金本さんと対戦したい気持ちが強かったんです。セ・リーグで一番いい打者だったので、何とかして抑えるイメージを自分なりには持っていました。第5戦があれば?強気で内角を攻めたと思います」

 当時は20代前半。金本の被弾がプロ初失点になった「松坂世代最後の大物」が、日本シリーズで金本の懐にグイグイ…そんな第5戦があったらどうだったか。パの新人王が虎の息の根を止めたのか。それとも、阪神不動の4番が返り討ちにしたのか。

 さて、22歳の宮城大弥がのっけから大山悠輔の内角を攻めた23年の日本シリーズ第2戦である。大山の第1打席は森友哉の構えるミットがとことんインサイド。内を意識させて最後は外。そんな配球で打ち取られた4番だったが、2打席目にシリーズ初安打。この一打がこの先、どう生きてくるか。

 第1戦は8点差。第2戦も8点差。ともにワンサイドゲームになったけれど、これではっきりしたのは、第5戦の開催が決まったということである。「面白いシリーズになりそうですね」。甲子園での第3戦に観戦予定の久保は言った。18年前の秋を少し懐かしみながら。=敬称略=

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