「放送100年の日」に思う
【3月22日】
研ナオコが目の前にいた。ナゴヤ球場の記者席である。小柄だけど、大物のオーラ半端ない。竜党であることは知っていたけれど、ファームの試合に足を運ぶ程とは知らなかった。
前日、21日のことだ。前の席にいるのだから、ご挨拶を。というか、できればドラゴンズやプロ野球への想いを…なんて思いながら、ダメ元でマネジャーさんにその旨伝えてみた。
「ごめんなさい、きょうは…」
人当たりのいい女性がそう仰った。そりゃそうだ。初見の記者にペラペラ話せるわけがない。僕がマネジャーならもっと突っ慳貪にお断りするかも。
実は、僕は「初見」じゃなかった。NHKの局内で一度、お会いしたことがあるのだ。といっても昭和でいえば50年代。僕の母がNHKの編成で勤務していたことは当欄で何度か書いた。幼いころ鍵っ子だったので母の職場へお邪魔することも何度か…。朝ドラの舞台セットやニューススタジオをよく見させてもらったが、歌手や俳優とも度々会った。そこで、研サンとも。
あれからウン十年。ナゴヤの記者席で席を前後にしてウエスタン・リーグを観戦するとは…。これも縁か?なんて勝手に思いながらニヤついていた。
さて、名古屋まで何を見に来たのかといえば、「初先発」した伊藤稜である。阪神育成左腕の力投は大物歌手の目にどう映っただろうか。
そしてもう一つ、名古屋で見ておきたいものがあった。
これもNHKの話である。
この日、2025年3月22日は「放送100年」の記念日である。NHKの前身「東京放送局」が1925年3月22日にラジオの放送を開始。その第一声は「ああ、あー、聴こえますか」だったそうだ。当時の契約者数は3500人だったというから、いわば、尼崎の新球場を埋めた観客数くらいしか電波を聴取できなかったわけだ。
ちなみにNHKが初めてプロ野球をラジオ中継したのがここ名古屋だ。鳴海(なるみ)球場での名古屋金鯱軍VS東京巨人軍。いまの中日VS巨人戦を名古屋中央放送局、現在のNHK名古屋放送局が中継したのが最初だった。
鳴海球場…。気になったので行ってみた。ナゴヤ球場で西勇輝の安定の投球を拝んだ後、JRと名鉄を乗り継いで伝説の球場へ…。
鳴海駅から徒歩20分。今はもうその形はなく、跡地に自動車学校がある…そう聞いていたので驚いた。まだ内野スタンドの一部がそのまま残る。見渡せば野球場の名残りが思いっきり…。地元の人に聞けば、かつて「珍百景」にも選ばれたそうな。知らなかった。
100年前の放送マンはどんな使命で野球を伝えたのだろうか。放送技術のレベルがまだ「聴こえますか?」だった当時、必ず伝えなきゃいけないものを!そんな思いだったに違いない。
ウチの母は今もラジオで阪神戦を聴くのが日課である。ちなみに吉田家は藤川球児推し。なぜって球児がNHKの解説者だったから。さあ関西へ帰ろう。開幕まであと1試合。大阪で伝えなきゃならないものが…。=敬称略=
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