元阪神総務部の知能

 【10月23日】

 日本ハムのチーム統轄本部長が以前阪神球団の総務部で働いていたことは古株の記者ならよく知る。毎年ドラフトが近づくと、必ずこの人、そして日本ハムの動向が気になる。

 その人、吉村浩の手腕は球界では有名な話だけど、かつてデトロイトタイガースでGM補佐を担い、02年から3年間阪神に勤務したのち日本ハムへ籍を移したキャリアは、今の若い世代で知らない人も多いと思う。

 ドラフトに強い球団、育成のうまい球団といえば、僕は長年「日本ハムが筆頭」だと書いてきた。吉村のGM時代を含めた功績は計り知れないわけだけど、ドラフト史を紐解けば、ハムのクジ運にも、花を咲かせる術にも個人的にずっとやっかんでいた。

 さて、先のプレーオフでムーキー・ベッツから「宇宙人レベル」と驚愕された大谷翔平だからその育成に成功した北海道の球団がもっと称えられるべきだと思うが…13年前のドラフトを回想すれば、ふとこんなことを考える。

 12年秋のドラフトで大谷は競合せず日本ハムからの単独指名で入団した。高卒でメジャーへ…本人の強い希望が周知されていたわけだが、もし、仮に藤浪もあの年メジャー希望を公言していたら、阪神はどうしていたか。強行指名したのか。手を引いたのか…。

 補強ポイントを明確にして、ぶれない、やりたいドラフトをやる-。

 これこそが現在の阪神編成の柱だ。金本知憲が監督に就いた15年が「改革元年」となり、ドラフト&育成の方向性も根底から変革を目指し、年々実を結ぶようになってきた。補強に依存しない「生え抜き中心のチーム」編成を切望した金本の訴えが起源になっているわけだが、その風は実はそれ以前から阪神の内方に吹いていた。

 第1次岡田政権が発足した04年、甲子園球場リニューアル企画書作成のため、メジャーリーグ(MLB)を視察したチームの中に現球団社長の粟井一夫が同行していた。当時阪神電鉄本社で球場担当を担った粟井をアテンドし、MLB施設の裏の裏まで紹介。甲子園リニューアルのベースを植え付けたのが、阪神総務の吉村浩だった。

 吉村はデトロイトGM補佐時代のコネクションを最大限駆使し、ハードもソフトも何もかも渡米チームに還元、有意義な時間をもたらした。奇しくも粟井と吉村はともに64年生まれの同い歳。現在の日本ハムの編成方針のベースは吉村が築いたといわれるが、かつて粟井にとって吉村は編成と育成のお手本を示す存在であり、現職に就いた今も学びの対象に変わりはない。

 そういえば、日本ハムが巨人熱望の長野久義を強行指名した06年ドラフトで、吉村が「欲しい選手を指名しない理由はない」という趣旨の発言をしたと聞いた。やりたいドラフトをやる。日本ハムの信念は、阪神にも…。

 藤川阪神にクジで破れ、立石正広の獲得を逸した日本ハムの円卓で新庄剛志は悔しがり、吉村は顔色を変えなかった。そんな年のドラフトほど育成に長ける両軍の後年が楽しみになる。=敬称略=

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