大橋穣さん死去、79歳 70年代の阪急支えた遊撃手
名遊撃手として阪急(現オリックス)の黄金時代を支えた大橋穣(おおはし・ゆたか)さんが18日、東京都の自宅で死去した。79歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
東京・日大三高から亜細亜大に進み、東都大学リーグで当時最多の通算20本塁打を放った。1969年にドラフト1位で東映(現日本ハム)に入団し、強肩、堅守で1年目から遊撃の定位置を獲得。72年からは阪急でプレーし、守備の名手として75年からのリーグ4連覇と3年連続日本一に貢献した。
打率は2割前後にとどまるシーズンが多かったが、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)に7度輝き、ベストナインにも5度選ばれた。82年の引退後は阪急やヤクルトのコーチ、中日2軍監督などを歴任した。
通算1372試合に出場し、打率・210、96本塁打、311打点。右投げ右打ちだった。
◆大橋 穣(おおはし・ゆたか) 1946年5月29日生まれ。東京都出身。日大三高、亜大を経て、68年度ドラフト1位で東映に入団。71年シーズン終了後に阪急に移籍し、5年連続ベストナインを受賞するなど阪急の黄金時代に貢献した。82年限りで現役引退。阪急、オリックス、中日、ヤクルトで守備・走塁コーチ、2軍監督などを歴任した。





