【89】技術・振興委員会の役割 底辺校の振興が世界に誇る日本代表をつくる
「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」
カナダで開かれていたU-18世界大会は善戦及ばず優勝は成らなかった。敗因はいくつかある。一番は日程上の問題だ。通常世界大会は、大半が9月が学業始期なので、8月上旬に開かれていた。
この時期では日本の参加は不可能で、2004年、アジア地域で台湾が初めて世界大会を誘致したときは9月開催で、全日本選抜が初参加できた。台湾は大会の盛り上がりを考え、日本の参加が可能な9月開催を準備したのだ。
この大会ではダルビッシュや涌井投手を擁して臨んだが、強豪キューバに完敗、準優勝に終わった。
今年の夏の選手権大会は2日順延で決勝は8月24日、決勝に残った選手は26日から全日本合流で、28日にはもう出国と実にあわただしい日程だった。
次に金属製バットから木製への切り替えだ。
これは1週間やそこいらで克服できるわけがない。カナダでは投手は予期した以上に健闘したと思う。一方『打線は水もの』とよく言われてきた。甲子園に合わせてきた体調が一旦途切れるとベストに持ってくるのは容易ではない。
日本高野連には、1997年に設置した技術・振興委員会がある。初代委員長は吉川嘉造さんで和歌山県内の監督や県理事長を歴任され、尾藤公さんは教え子だ。
委員会設置の時、尾藤さんに参画を要請したところ、にべもなく断られた。多分日本高野連との温度差を感じていたからだと思った。
そこで「これは競技力向上委員会ではありません。高校野球は1回戦で半分が敗退します。その底辺の学校の振興のため何かできることがないか、それを考えてもらうのが目的です」とさらに説得した。すると当時地方の名もない学校を巡回指導していた尾藤さんは「それならワイにもできるかも」と応じてくれた。
委員会では、01年に延長回数を15回に短縮、準々決勝の2日間開催(現在は完全休養日の設定)、危険防止で投手のヘッドギアや捕手のスロートガードの義務付けなども決めた。
国際大会で指摘を受けた二塁走者のサイン盗みの禁止などマナーの向上にも取り組んだ。また捕手の本塁上のプレー、いわゆるブロックを是正しようとしたときは捕手出身の尾藤さんが自ら選抜大会のリハーサルで出場校の捕手全員を本塁周辺に集め、熱心に指導された。
現在の委員会では日本代表の選考方法や指導陣の人選など最善を尽くしている。開催国が日程上無理をしても日本に参加を求める理由は、はつらつとしたプレーと、さわやかなマナーが求められているからだと思う。技術・振興委員会の原点だと思う。