白鵬 涙の引退会見 親方「間垣」襲名の自覚!?ノー失言優等生回答で門出
史上最多45回優勝を誇る大相撲の第69代横綱白鵬(36)=本名白鵬翔、宮城野部屋=が1日、両国国技館で引退と年寄「間垣」襲名の会見を開いた。過去の言動を問題視され前日、誓約書付きで年寄襲名が承認されており、親方として第一歩はノー失言、優等生回答でクリアした。会見では約20年の土俵人生を全うし男泣き。手術した右膝は限界で全勝優勝した名古屋場所の10日目に引退決断したことを明かした。
エンターテイナーの白鵬が軽口も笑いもない超安全運転だった。師匠・宮城野親方(元前頭竹葉山)に何度も感謝し、「指導のおかげです」と口にした。
土俵内外の問題ある言動で現役時、懲戒処分を3回受けた。何度注意されても改めず、親方としての資格に反対の声も続出。前日、誓約書まで書いて年寄襲名を承認された。間垣親方としての初日、優等生に終始した。
時折、机の上に用意された紙に目を落とし回答した。「活躍の場を与えてくれた日本相撲協会に感謝しています」。会見はYouTubeで生配信されており、協会も安堵(あんど)の“ノーミス”だった。
終始、冷静ながら感情があふれた場面があった。モンゴルから15歳で来日時、身長175センチ、体重62キロの小柄な少年は最後まで部屋が決まらず帰国を予定。その前日に師匠が入門を許可した。
「声を掛けてくれて今がある」と男泣き。異国で不安でつらかった21年前を思い出し1分間、言葉を詰まらせた。「今後、師匠の下で一から勉強したい」と声を絞り出した。
約50分の会見では大横綱の誇りもにじんだ。前人未到45回優勝、通算1187勝など数々の大記録を達成した。14年以上の横綱在位に「自分を褒めたいな」とうなずいた。
名古屋場所で復活の全勝優勝を果たし最強のまま幕を引いた。実は同場所10日目に引退を決断していた。10連勝したその日の取組後、師匠や部屋関係者に意向を伝えた。手術した右膝はもうボロボロ。再び悪化すれば人工関節は避けられず日常生活にも影響。「迷いはなかった」と、家族も理解してくれた。
かち上げ、張り手など厳しい立ち合いが横綱審議委員会(横審)から何度も批判された。2015年、大鵬の持つ最多優勝32回を更新した頃から故障が増え「理想の相撲」は取れなくなった。それでも、勝ち続けることが白鵬の横綱像だった。
「手を抜くことなく鬼になって勝ち抜くことこそが横綱相撲。一方で横審の先生方の横綱相撲というものを目指したこともありましたが期待に応えることができなかった」と、反省を口にし、肩の荷を下ろした。
功と罪が混合する唯一無二の存在だった。野球賭博、八百長問題で人気低迷の角界を背負った。東日本大震災の被災地を毎年、慰問。2010年には「白鵬杯」を創設。幕内阿武咲(阿武松)、琴ノ若(佐渡ケ嶽)らが同大会から羽ばたいた。
人材育成に人一倍、貢献した。「基本を大事にして、まずは型を作って、型ができ上がった時に型を破る。まさに型を持って型にこだわらない。これができてくれば必ず強くなっていく。私も相撲人生の中で、たくさん技がある人は一つも怖いことはなかった。型を持った人間が一番怖かった」。若者へ最強横綱が金言を送った。