【五輪コラム】国境越えた物語に感銘 蘇翊鳴と佐藤コーチの絆
中国の観衆から「アリガトウ」の声が聞こえてきた。スノーボード男子ビッグエアで金メダルに輝いた蘇翊鳴(中国)と、彼を頂点に導いた日本人コーチの佐藤康弘さん。2人の物語に、担当記者として、一人の人間として深い感銘を受けた。
佐藤さんと蘇の出会いは7年ほど前。当時11歳で純粋にスノーボードを楽しんでいた少年は、佐藤さんが教える大塚健(バートン)の滑りを見て憧れを抱いた。指導を直接依頼してきた蘇の熱意に佐藤さんが応え、14歳から本格的に師弟関係が始まった。来日前に母親から「これからはただ楽しむだけでなく、プロになるために日本に行くんだ」と言われ、蘇は五輪の金メダルを目指す覚悟を固めたという。
なぜ日本人の佐藤さんだったのか。昨年12月、オンライン取材をお願いして本人に聞いた。「ものすごく細かい指導で、日本の選手がひた向きに取り組む姿勢にも驚いた。佐藤さんがつくったジャンプ練習施設もすごい。日本の選手がどう強くなるかが一目で分かって練習したくなった」。目を輝かせ、流ちょうな英語で教えてくれた。
指導を受け始めてから4年弱で世界のトップにのし上がった。その成長速度はすさまじい。「心の底からスノーボードが好きで、楽しくて仕方ない。練習は全く苦にならない」との言葉に偽りはない。
一方で、鬼塚雅(星野リゾート)、岩渕麗楽(バートン)ら多くの日本の五輪選手を育てる名コーチには葛藤や苦悩があった。「日本と中国の懸け橋になりたい」との思いで両国の選手を指導する立場になったが、冗談で「非国民」と言われたことも。家族からも「日本でこんなに選手を育ててきて、日の丸を背負う方が誉れではないか」と問われたという。教え子の日本選手の表彰式を、蘇の横で見守る複雑な心境も味わい「寂しかった」と思うこともあった。
新型コロナウイルス禍が転機となった。中国との往き来が制限され、1年半近く会えなくなっても蘇は佐藤さんを信頼し、毎日のように練習動画を送ってきた。昨年6月にようやく再会し、2人は空港で熱い抱擁を交わした。深まった絆が夢の実現につながっていく。
2人の歩みは中国国営放送のドキュメンタリー番組でも取り上げられた。今大会の試合会場では、佐藤さんは中国代表チームのコートを羽織っていたかと思えば、あわただしく着替えて日本選手の横にも立った。
蘇がスロープスタイルで2位に入った後も、ビッグエアで頂点に立った後も、取り囲む報道陣に英語で応じる佐藤さんがいた。「これだけの中国メディアに囲まれて、日本人として話すことはすごく大きなことだった」との感想を聞き、こちらまで誇らしくなった。
筆者は大学時代に「スポーツと政治」をテーマに五輪ボイコット問題などを学んだ。今大会もウイグル族抑圧など、中国の人権問題を理由に「外交ボイコット」を表明した国が相次いだ。偉そうなことを言うつもりはない。ただ、日本と中国の真ん中に立って両国の選手の成長を後押しする佐藤さんと蘇の関係はもちろん、真剣勝負をした後にボーダーレスで健闘をたたえ合うスノーボード選手たちの姿を見て、考えさせられることは多かった。
佐藤さんは「国境を越えた何かがあると信じている」と何度も言い、2月18日に18歳になる蘇も昨年12月の取材時「金メダルを目指す目標もあるが、その先に中国と日本の関係を良くしたいというもっと大きなものもある。中国で日本のことももっと知ってもらって、お互いを理解し合えたら素晴らしいこと」と熱い思いを聞かせてくれた。
表彰式や長時間の会見を終え、疲れ切っていたであろうシャオミン(蘇の愛称)を待って祝福すると「アリガトウ」と満面の笑みで手を振ってくれた。感謝したいのはこちらの方だ。(共同通信・山本駿)