柏原芳恵 中3で夜の2時、3時まで収録 そういう世界、そんな時代だった 80年代彩ったヒット曲多数 今もアイドル「現役です」
1980年代のアイドルにフォーカスした連載「今も輝いて アイドル伝説」がスタートします。80年代のブームを担い、今も活躍しているアイドルに当時の思い出と現在の活動を聞く新企画の初回には、「ハロー・グッバイ」、「花梨」、「春なのに」など多くの名曲、ヒット曲を持ち、今年6月でデビュー45周年を迎える柏原芳恵(59)が登場。驚きの80年代秘話から現在の活動までを語ります。
柏原は「私、アイドルって自分で思ったことがなくて。でも『元アイドルの』って言われたら『いや、現役です』って言うんですよね」と語る。人気アイドルであり優れたシンガーでもある柏原が表された言葉だ。
デビューは中学3年生だった80年で、松田聖子、河合奈保子ら同期は皆年上。「中学生だと1個年上でもすごい先輩」という年齢の壁があった。所属事務所も現場では「私語禁止」と厳しい反面、「中学生だし子供だったので、ものすごく守って」もらった柏原は順調に伸び、81年の「ハロー・グッバイ」からはヒットを連発。全盛だった歌番組の常連になった。
「今だったらできないようなむちゃぶり」も多く、新幹線新横浜駅のホームからの生中継ではサラリーマンにおしぼりを渡してから歌った。「え?なんで?」と戸惑いつつ「おしぼりを配って、スタジオから『今週第何位です、柏原芳恵さん、ではどうぞ!』って」。TBS「ザ・ベストテン」の司会だった女優の黒柳徹子に今会うと「ムチャクチャだったわよねえ」と言われるという。
正月恒例のフジテレビ系「新春かくし芸大会」への初出演では、昭和芸能界あるあるを経験。「熱出しちゃったんですね。それでも『頑張れ、もうちょっとだ』って(スタッフが)言って(収録は午前)2時とか3時ぐらいに終わったんだけど」。柏原は中3だったが「そういう世界、そんな時代だった」。
柏原は華やかな美貌とともに、情感豊かな高い歌唱力でも知られる。デビュー曲の歌詞ができると、下宿先である事務所社長宅から学校に送られる車中で「歌詞をスラスラと言えないとバカヤローって怒られる。怖い時間帯でしたね」と社長自ら特訓。デビュー後はコンサートや歌番組など実践で鍛えられた。
「今日レコーディングだからって朝渡されて、仕事が終わってレコーディングに向かって3回歌って、『遅いから帰って』。私の歌はこれでいいのだろうかと考えるようになりまして」という悩みも生まれた。昇華させてくれたのは、82年に名曲「春なのに」を提供した中島みゆきだった。
「歌い人、伝い人みたいなことを教えていただいた。みゆきさんの言うことを素直に受け止められたんだと思うんですけど、帰りがけに『思ったより歌うまいですね』って言ってくださいました。そこからいろんな自分の中の世界、歌い方とか伝え方を、こうやって歌いたいなとか、こうしたら伝わるかなとか、思うようになりました」
「夏模様」(83年)を書いたオフコースの松尾一彦からも「思ったより歌うまいね」と言われた。曲提供は他にも谷村新司さん、五輪真弓、松山千春、細野晴臣、南こうせつ、井上陽水ら。歌謡曲の巨匠・筒美京平さんは84年のアルバム「LUSTER」をまるごと打ち込みで制作した。非常に早い試みだった。
「出会った方々がエキスパートばかりだったから、きっといっぱい教えてもらったんだと思います」と振り返るように、柏原はスタッフや作家ら昭和のプロによって磨かれ、45年間続く歌手活動の基盤が作られた。
昭和のアイドルと言えば、熱烈なファンで組織された親衛隊だ。殺到するファンから自発的にガードしてくれた。「親衛隊の方はこっち(柏原の車と反対側)に向いて、みんなで手をつないで(殺到するファンを)寄せ付けないようにするんです。ホントは一番見たいのにね」。親衛隊との絆は今も続いている。
浩宮さま(現天皇陛下)も柏原ファンで、86年にはリサイタルに来場された。「『本日はお越しくださいましてありがとうございました』って話していいんですか?。どうしよう?がすごい先に立って」。ともにお迎えした俳優の宇津井健さんらVIPも「皆さんもう硬直」。その緊張が伝染した上、浩宮さまへの応対の仕方も分からず、質問への宮内庁の回答も「前例がございません」の連続だったという。
柏原は「光栄って言葉ですまされない、空前絶後なこと、あり得ないことだと思います。一般紙でも一面に、それを見た時にすごいことなんだなって感じましたね」と、芸能史上に残る出来事を振り返った。
柏原は6月28日に名古屋・COMTEC PORTBASE、7月11日に東京・渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールで45周年コンサートを行う。
「いつもステージはすごい緊張する」と打ち明けつつ、「その日その時にできることは全力、というのはいつもテーマ」と全力投球を約束。「元気がなくても、『ああもう立ち上がれない』とか思ってても、ステージで声援、拍手、コール、そこでパワーをもらってるのかもしれません」とファンに感謝する。
柏原は「ほほ笑みプレゼンターになりたい」と言うようにファンの笑顔を第一に考え、そのために美貌も維持している。「ファンの方もオシャレして会いに来てくれる。ちょっと恋心なわけですよ。『柏原芳恵ってこんな感じになっちゃったの?』とか、がっかりされたらイヤだなとは思います」。そこでパワーや「踏ん張らないと」という気持ちが生まれるという。
23年からはベテラン芸能人をゲストに迎えるJ:テレのトーク番組「柏原芳恵の喫茶★歌謡界」(土曜、後10・00)が放送中。「(当時は)私語禁止だった。けっこう歌番組でも一緒だったのに意外に話したことがないから『この人ってこんな感じのキャラなの?』って方もいるし、皆さんステキだから楽しい」と番組の魅力を語り、「頑張ろう!やんなくちゃ!」と刺激を受けている。
6月25日には初のオールタイムベストアルバム「~45th Anniversary ~YOSHIE SELECTION ALL TIME BEST」も発売される。今後について聞くと「楽しそうなことだったらなんでもやっていきたい」と軽やかに答えた柏原は、これからも美しくキャリアを重ねていく。
◆柏原芳恵(かしわばら・よしえ)1965年10月1日生まれ、大阪市出身。79年、日本テレビ「スター誕生!」グランドチャンピオン。80年、芸名「柏原よしえ」でデビュー。82年、芸名を柏原芳恵に変更。85年、香港公演。NHK紅白歌合戦は83、85年出場。日本レコード大賞は81年ゴールデンアイドル賞、82~84年金賞、85~87年優秀歌唱賞。女優としてもドラマ「ピンキーパンチ大逆転」、NHK大河「山河燃ゆ」などに出演。趣味は映画鑑賞、スキューバダイビング、カメラ、粘土細工、料理研究。