【山田美保子のミホコは見ていた!】ラジオを愛し、ラジオに愛された久米宏さん
元TBSアナウンサーの久米宏さんが1日、肺がんのため死去していたことがわかった。享年81。代表的な担当番組として、同局の「ぴったし カン・カン」や「ザ・ベストテン」、そしてテレビ朝日の「ニュースステーション」などを挙げるメディアが圧倒的だが、1980年から4年間、ラジオカーを用いて中継をしたり、放送のサポートをしたりする「TBS954キャスタードライバー」だった筆者にとって、久米さんと言えば、「土曜ワイドラジオTOKYO」である。
初代の永六輔さん、二代目の三國一朗さんに続いて1978年から1985年まで「土曜ワイド」のメインパーソナリティを務めていたのが久米さん。1967年の入社直後に体調を崩し、売れっ子とは程遠い日々を送り続け、1970年、深夜放送ブーム真っ只中に、野沢那智さんや白石冬美さんら多くの人気DJを輩出した「パックインミュージック」の金曜パーソナリティに抜擢されるも、また病気のため、わずか5週で降板してしまうのだ。
が、翌月から永さんの「土曜ワイド~」のリポーターに。変装したり隠しマイクを付けたりした型破りな中継は、後に多くのラジオ番組が真似をしたし、男性アナウンサーの手本となったものだ。
筆者の先輩の中には「久米号」といって、久米さんを載せて件の型破りな中継のお手伝いをしていた人もいるし、久米さんが「土曜ワイド~」のメインになってからも、吉川美代子アナを載せた「吉川号」の他、キャスタードライバー2名のラジオカーが2台、走り、各地から入り中していた。
筆者は同番組では放送に声がのらないナビゲーターだったのだが、同期と共に入れるプチ情報を「頑張っている」「目の付け所が面白い」と久米さんが度々褒めてくれたことが宝物となっている。
8時間の生放送を終え、局に戻れば、久米さんを中心に、おすぎとピーコさんやニュース担当の楽衛(らくまもる)さんが待っていてくれて、反省会という名の打ち上げに参加させてくれ、そこでも久米さんは素人に近いキャスタードライバーの話を熱心に聞いてくれた。
男性スタッフとの関係もすこぶる良くて、久米さんが「テレビの人」になった際も彼らは「久米ちゃんを育てたのはラジオ」と自慢げだった。恐らく久米さんも“原点”を大切にしていたのではないか。2006年、「久米宏 ラジオなんですけど」でTBSに戻ってきた際、そう確信した。ラジオを愛し、愛された久米宏さん、どうか安らかに。
