「北の国から」純役・吉岡秀隆が倉本聰さんを敬愛込めた21文字で追悼 さだまさしも別れ惜しむ「さようならは言いません。先生またね」
数多くの名作を手がけてきた倉本聰さんの訃報に、芸能界は深い悲しみに包まれた。「北の国から」シリーズに出演した俳優の吉岡秀隆(56)は所属事務所の公式サイト上で追悼の21文字のコメントを発表。一方、24年公開の「海の沈黙」など、倉本作品に多く出演した中井貴一(65)も事務所の公式サイト上でコメントを発表。長文で倉本さんへの思いをつづった。
倉本さんの代表作「北の国から」シリーズ。田中邦衛さん演じる主人公・黒板五郎の息子・純を小学生時代から演じた吉岡秀隆は、自身の公式サイトで「倉本先生と出会えたこと、神様に感謝します。」とコメント。21文字の中に、深い敬愛の念を込めた。
同作の主題歌を手がけたさだまさしは、自身のインスタグラムで「(当時)若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せてくださった俠気(おとこぎ)の人。大恩人でした」と述懐。「もう少し仕事でご一緒したかった。さようならは言いません。先生またね」と惜しんだ。
同作の舞台で、倉本さんが名誉市民だった富良野市の北猛俊市長は、市の公式サイトで「市民を代表し、謹んで哀悼の意を表します」としのんだ。同市では「北の国から」が生まれ、2002年に観光客数が過去最高の年間249万人を記録するなど“聖地”として認知された。
倉本さんが主宰し、10年に閉塾されるまで多くの人材を輩出した「富良野塾」や20周年を迎えた「富良野自然塾」など地元に密着。1977年に活動拠点を同市に移してから、多くのプロジェクトが展開されてきた。
北市長は「およそ半世紀にわたり、私たち富良野市民に数多くのかけがえのない財産を残してくださいました」と回想。講演や表現活動などを通じ「多くの示唆と学びの機会を与えてくださいましたことに、心より感謝申し上げます」とした。
同作を放送したフジテレビも「当社のドラマ制作の発展に多大なご貢献をいただきました。人間や社会を深く見つめる確かな視点と豊かな表現力によって生み出された作品は、多くの視聴者の皆さまの心に深く刻まれています。長年にわたるご功績に深く敬意を表するとともに、ご家族ならびに関係者の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます」と追悼した。
「富良野三部作」のひとつで、フジテレビ系で放送された「優しい時間」で主演を務めた寺尾聰は所属事務所を通じてコメントを発表。「デビューして間もなくNHKの連続ドラマ『アヒルの学校』で、その後CXTV「優しい時間」でお世話になりました。素晴らしい作品を多くの俳優達は皆感謝しています、そして多くのドラマファンも同じ気持ちだと思います」と喪失感をつづった。
◆倉本聰さんを悼む声
石坂浩二「倉本聰さんは、テレビ草創期から、世の中の価値観や流行が移り変わっても、それに合わせることなく、人間を見つめ続けていらした。その変わらない姿勢こそが、倉本さんの尊さであり、倉本さんらしさだったのだと思います。長い年月にわたり、素晴らしい作品を生み出してこられた倉本さんのご冥福を、心よりお祈りいたします」
舘ひろし「2023年の春、富良野でお食事をご一緒させていただきました。その際、『舘君に書いている脚本がある』とおっしゃっていただき、いつかその作品でご一緒できることを楽しみにしておりました。私の主演ドラマ『玩具の神様』で、10ページにもわたる長いシーンの撮影を見学にいらして、脚本の“てにをは”にこだわりをお持ちの倉本先生から、『舘君、セリフは適当でいいよ』と言われ、それではとカンペを色々なところに張っていたら、それを見て黙って行ってしまいました(笑)。なんだか私には、いつも甘く接してくださいました」
風吹ジュン「先生のご永眠を、あえて『ようやく訪れた安らぎ』と受け止めたいと思っております。先生は、いつも笑顔を絶やさない方でした。ですがお仕事場は一転し、『前略おふくろ様』のリハーサルでは、目を三角にして厳しく、一つひとつの台詞に耳を澄ませ、演者や演出に深く関わり、労を惜しまれませんでした。大勢が出演する場面では『リングリングリング!』と声をかけて演技に活気を与え、それが作品の面白さにも表れていたように思います。どうぞ安らかにお眠りください。心よりご冥福をお祈り申し上げます」
日本ハム・栗山英樹チーフ・ベースボール・オフィサー「人生の大きな分岐点になった栗の樹ファームを造るという決断の原点が、倉本さんのドラマ『北の国から』でした。富良野で一緒にお酒も飲み、含蓄に富んだお話を聞かせていただきました。倉本さんの生き様や感性、授けてもらった数々の言葉や思想。私の人生の道標でした」
黒柳徹子「倉本さんとは、なんだか幼なじみのような気がしています。倉本さんが北海道に住む事になったときには、『うちの前が空いてるから、徹子さんも来ない?』って言ってくださったことがありました。倉本さんは、いつ会っても新しい話を持っていて、本当に面白い方でした。お話ししていると、時間が経つのを忘れるほどでした。しばらくお会いしていないなと思っていたら、突然の訃報でした。もう一度、ゆっくり会って、お話がしたかった。倉本さん、たくさんの素晴らしい作品を残してくださって、ありがとう」
山下澄人氏(富良野塾出身の芥川賞作家)「1984年、18歳のときよくわからず『フラノジュク』というところを受けて、『来い』となり、行って、春の谷はまだ雪解けのドロドロで、屋根のない巨大な丸太小屋が建っていた。出来ているのもあった。今もわたしはあのドロの中に『なんだこれは』とぼんやり立っている。先生はわたしに『スミト、お前、かわいげがなきゃだめだよ』といつもいっていた。演技をいつも褒めてくれて、調子に乗れたから続けてこれた。ありがとうございました。お疲れ様でした」(Xから)
