倉本聰さん天国へ「北の国から」「前略おふくろ様」日本人の心紡いだ脚本家が逝く 「富良野塾」設立し脚本家&俳優育成、劇団主宰も
「北の国から」や「前略おふくろ様」など、リアルな人間模様を丁寧に描いた人気作を数多く手がけた脚本家、演出家の倉本聰(くらもと・そう 本名・山谷馨=やまや・かおる)さんが、18日に多臓器不全のため北海道富良野市内の自宅で死去していたことが28日、分かった。91歳。同氏が理事長を務めた倉本財団が発表した。葬儀は近親者で営まれた。11月3日に北海道・富良野演劇工場で「お別れの会」が開かれる。関係者によると、倉本さんは亡くなる直前まで自宅で闘病しながら仕事を行っており、まさしく“生涯現役”を貫いた。
日本中を魅了した希代の名脚本家が、こよなく愛した北海道の大自然に抱かれ、その生涯に幕を下ろした。
関係者によると、倉本さんは今夏ごろから体調を崩しており、入院はせずに自宅で闘病。8月29日に富良野演劇工場で行った「富良野やすらぎの刻~倉本聰プライベートライブラリー」が、人前に姿を見せた最後の機会だった。
その後も執筆活動などは行っていたが、容体が急変。生前から「この(自宅の)窓から見える森を見ながら旅立ちたい」と希望しており、最期は家族に看取られながら、望み通り自宅で安らかに息を引き取ったという。
倉本さんは麻布高から東京大文学部を経て1959年にニッポン放送に就職。中学時代から演劇に強い興味を持っていたこともあり、本名でディレクターとして業務を行う傍ら、ペンネームを用いて脚本家としても活動していた。
63年に退社後はフリーの脚本家となり、75~76年放送の日本テレビ系「前略おふくろ様」などのヒット作を連発した。一方で、74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」の脚本を手がけたが、局スタッフとの衝突が原因で途中降板するなど、トラブルも経験。これをきっかけに、生活の基盤を北海道に移した。
77年には札幌から富良野へ移住。81年スタートのフジテレビ系「北の国から」シリーズは、同所を舞台に厳しい大自然の中で生きる親子の営みを描いて感動を集め、2002年まで続く国民的人気作となった。その他、日本テレビ系「昨日、悲別で」や、故・高倉健さん主演の映画「駅 STATION」など、北海道を舞台とした作品を数多く手がけた。
84年には私財を投じて「富良野塾」を設立、脚本家や俳優を養成した。2010年に閉塾後は劇団「富良野GROUP」を主宰した。創作活動への意欲も衰えず、17年には石坂浩二、浅丘ルリ子、加賀まりこら昭和の名優を多く起用し、老人ホームを舞台に現在のテレビの在り方に対する批判も盛り込んだテレビ朝日系「やすらぎの郷」で大きな話題を呼んだ。
24年には、自身36年ぶりの映画脚本となった「海の沈黙」が公開。前年23年に行った製作発表会見では「もうすぐ死んじゃいますから、生きているうちに撮っておきたい」と冗談を飛ばしつつ「まだ書き換えたいという部分は今もあります」と消えぬ情熱を口にしていた。
70年以上にわたり、映像作品を手がけてきた名伯楽。名優たちが待つ天国へと旅立った。
◆倉本聰(くらもと・そう)1935年1月1日生まれ。東京都出身。本名は山谷馨。自然科学書籍の出版社を経営する父のもと、三男二女の次男として誕生。58年、23歳のときに本名名義でラジオドラマを手がけ、脚本家デビュー。59年から倉本聰のペンネームを使い始める。同年、東京大学文学部美学科卒業後にニッポン放送入社。63年に独立し、日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した映画「駅 STATION」やドラマ「北の国から」など多くのヒット作を生み出した。00年紫綬褒章、10年旭日小綬章。
