苅谷俊介 妻に先立たれた男はこんなにも弱く…西部警察の刑事が愛妻失った胸中告白

妻、英子さんの思い出を話す苅谷俊介。背景に2人の写真=神奈川県の自宅
 短髪にひげだったころの苅谷俊介。西部警察で演じた源田刑事そのもの
2枚

 苅谷俊介(74)といえば昭和の大ヒットドラマ「西部警察」の刑事「ゲンさん」が真っ先に思いつく。広い肩、長い足、いかつい風貌で石原裕次郎、渡哲也に負けじと存在感を放った。俳優として脂が乗ってきた30代なかばに石原プロを退社。考古学を本格的に勉強するためだった。以後は英子夫人がマネジャーを務めた。50年に渡って苅谷を支えた愛妻は4月、悪性リンパ腫のために亡くなった。「妻に先立たれた男はこんなにも弱くなるのか」。ブログにそう書いた苅谷を訪ねた。

 -奥様が4月1日にお亡くなりになられました。ブログに「妻に先立たれてたった一人になった男はこんなにも弱く女々しいものか」と。世の人々に「パートナーを大事にしろ」というメッセージと受け止めました。

 大事にしなきゃダメですよ。

 -闘病は長かったのですか。

 かれこれ4年になりますかね。悪性リンパ腫が見つかったのが遅かったんです。ステージ4でしたから。全部は取り除けなかったんです。投薬である程度おさえて、一時期元気になったけど全身にまわって。

 -こちらの写真は奥様との?(壁に2人の登山写真)

 そうです。上高地に行ったときの。2人でよく旅をしましたね。僕は運転が好きなので九州だろうが北海道だろうが車です。よく付いてきましたよ。

 -夫婦にありがちなことですが旅先でけんかなど。

 あります(笑って即答)。車で九州に行った帰りの道中でけんかをして…広島の福山のあたりかな。僕が「降りろ」と。僕がそう言ったら絶対に後には引かないと彼女は知ってるんです。もちろん、ほんとは降ろしたくないですよ。でも意地です。彼女は降りて僕は車で帰りました。考えてみたら財布は彼女が持ってて(笑)。

 -ガソリン代とかどのように。

 ぎりぎりですよ。ポケットにあったお金で高速道路にも乗らずにほうほうのていで帰ってきました(笑)。

 -けんかの原因は。

 覚えてないですね。何でカッとしたのかな。2回ありました。

 -旅先で車から降ろしたことが2回。

 ええ。1回目は千葉に花を見に行った帰りだったかな。それもけんかの原因は覚えてないです。

 -帰宅してから会話はどのように。

 悪かった。

▼献身的な支え

 -謝るんですね。

 あいつは、けろってしてます。強いです。そういうことを反省しながら毎日お経を唱えるんです。僕があいつに言うことは反省の言葉だけです。おれがこうしてやったってことは一切無い。

 -そういう世代ですかね。

 そうですね。女は台所でっていう世代ですね。うちはいつも食事が朝昼の2回なんです。それを彼女は僕のマネジャーをしながら毎日献立を考えて作ってくれて。いま僕がやって初めて大変だったろうなって思います。今はあいつの好きだったもの、栄養になるものを考えて作ってます。朝はあいつはトーストが好きなんでバターを塗って、ちょっとジャムをぬって。ジャムがないときはシュガーシナモンをかけたり。それからサラダ、ハムエッグを作って。毎日です。夜の献立が大変。好きなもの、栄養があるものはと考えたときに魚はあんまり食べなかったけどぶり大根とかシャケは食べた。あじの刺し身、お寿司も好きだった。

 -お供えを。

 ええ。そのお下がりを僕が食べる。

 -お供えにそこまで手間暇かけるというのは聞かない。

 それくらいしてもしきれないです。亡くなる5日くらい前にね、大きな声で「あー」って言うんですよ。ずっと看病してると何を言ってるか分かるんです。ありがとうって言ってるんです。「50年も一緒にいるのにありがとうなんて言うなよ」って。「お前幸せなのか」って聞いたら、ものっすごいね…(大きくうなずく仕草)。

 -うなずいた。

 それがね、最後でしたね(声が震える)。そのあともう、あんまり言葉を発しなくなったですね。

▼アルツハイマーで話せなくなった

 -言葉を発せなくなった期間はどれくらい続いたんですか。

 3、4カ月くらいですかね。最後はアルツハイマーも出て。あいつは僕のことをあだ名で「テンちゃん」て呼ぶんです。僕は阪神ファンで、バースの年に優勝した時、真弓さんが打席に立つと「マユミ、マユミ、ホームラン」と球場で応援がありました。僕がそれに合わせて踊って家内が「テン、テン」と拍子を取ったことに始まります。あるとき、腕を組んで散歩してて。家内がにこにこして「テンちゃん」「なんだ?」「テンちゃんどっから来たの?いつ帰るの?」って言うんです。すごい悲しかった。

 -そんなことが。

 ある編集者にその話をしたんです。その人は母親がアルツハイマーで。「苅谷さん、それはアルツハイマーの症状の裏返しなんですよ。どっから来たの?いつ帰るの?っていうのは、ずっと一緒にいようねという気持ちの裏返しだと言われ…」(語尾が消える)

 -出会いは。

 あいつも東宝芸能学校に通っていてそこで知り合いました。あいつは「四季」に行きたかったんです。僕は「お前は四季はだめだよ」って言いました。

 -なぜですか。

 …僕の女房にしようと思ったから(笑)。四季を受けて落ちたら結婚するって。

 -落ちたんですか。

 落ちましたね…本当に、全身全霊で僕に尽くしました。僕は反省することばかりです。僕があいつにしたことは、あいつが僕にしてくれたことの100分の1くらいでしょう。

〈WHO’S WHO〉

▽苅谷俊介(かりや・しゅんすけ)本名・苅谷俊彦 1946(昭和21)年大分県生まれ。高校卒業後に一般の会社で働いた後、東宝芸能学校に入り68年3月卒業。映画「トラ・トラ・トラ」助監督を経て72年「さらば掟」で俳優デビュー。74年、石原プロモーション所属。他の映画に「里見八犬伝」など。テレビドラマに「大都会」、「西部警察」、大河ドラマ「葵」など多数。82年から考古学・古代史研究にライフワークとして取り組む。著書に「まほろばの歌が聞こえる」(エイチアンドアイ社)など。京都橘大学客員教授。

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