酒井法子が独白 挑む「旧メディア」の戦い 今だから話せる「のりピー」としての葛藤

 5月1日に個人事務所「株式会社スマイル」を設立し、YouTubeチャンネル「酒井法子 1億のスマイル」も立ち上げた、歌手、女優の酒井法子がこのほど、よろず~ニュースの単独インタビューに応じた。50歳にして飛び込むユーチューバーの世界への思いに加え、抱えていたのりピー像」とその葛藤などを赤裸々に告白。自ら「最後の挑戦」と銘打った、再出発への強い意気込みを示した。

 ある意味“五十の手習い”となるユーチューバーへの挑戦。デビュー当時から変わらぬキラキラした笑みを浮かべながら、酒井は「さまざまジャンルの方が、カジュアルなことから専門的なことも、いろんなことを発信する現代のツールだと思います」と話した。

 その上で「『ニューメディア』と『オールドメディア』という言い方があると思うんですけど、私はいわゆる『オールドメディア』のどストライクの年代で、テレビに育てていただいた」と自己分析。「YouTubeは己で己を撮る、自分から発信していくものという感じですが、今回私が作らせていただくのは、どちらかというとテレビ寄りで、番組のような感じ。作りも丁寧ですし、ベテランのカメラマンさんや編集さん、考えられないレベルの職人の方々が、力を貸して下さっている。今の流れとは少し違った、『ニューメディアを使った、オールドメディアの挑戦』という感じですね」と言葉に力を込めた。

 テレビっ子として育ち、テレビの世界でスターダムを駆け上がった酒井だけに、若者を中心とした“テレビ離れ”には、歯がゆさも覚えている。「そういう時代の流れもあります。私自身も息子が1人おりまして、彼の生活様式を見ていると、メインは携帯の中の出来事やYouTube」としつつ、「そういう時でも、いいものは伝わるはず。時代の架け橋というか、繋ぎになることができたら」と思いをはせ、自らが発信する“番組”については「想像を遥かに超えてきましたね。本当にすごいものにしてていただいた」と胸を張った。

 酒井が芸能界入りしたのは、1985年。女性アイドルの全盛期であり、活躍の場は圧倒的にテレビだった。「あの時代は、私自身もいわゆる王道と言いますか…。松田聖子さんとか、小泉今日子さんとか、中森明菜さんとかをを見て、ああいう方々みたいにキラキラした存在になりたいなと思っていました。今思えば、その最後のくくりを引きつがせてもらったような立ち位置だったんじゃないかな」と振り返る。

 抜群のルックスと歌唱力を誇ったが、何よりも強烈だったのは、そのキャラクター。「ちょっと異色というか、なかなか皆さんに認知していただけなかったのもあって、事務所の方に『いつもピーピーしゃべってるし、法子だから“のりピー”にしてみようか』と言われまして」という戦略がはまった。「ファンの方の私の間だけで分かると『のりピー語』というのを作ったり…。“王道”を50%ぐらい、あとの50%ぐらいは『変わってるね』っていう感じでした」という。

 「のりピー」自体も、酒井の素顔の一部だった。それでも、別の思いが生まれ始めた。「10代って、気持ちの移り変わりも早いじゃないですか。10代後半には、『のりピー』って言うのが自分ではむずかゆい感じで、もうちょっと大人になりたいっていうんですかね…。隣の芝生は青く見えるというか、誰かが大人っぽかったり、恋愛の歌を歌っていたら、『素敵だな…。私はなんで『のりピー音頭』なんだろ?とか」と、冗談めかしつつも葛藤を告白した。

 「憧れを形にさせてもらいながら、夢がかなっていった」というアイドル時代。その一方で「毎週毎週、泣きながら夢がかなっていった感じですね。ランキングづけされる番組もありましたし、『のりピー』から『酒井法子』を知ってほしいという希望もあった」と、抱えていた本音も吐露した。

 “アイドル・のりピー”のファンが今後の自身を支えてくれるというのも、重々承知している。「その時代を見て下さって、応援して下さってた方々が、今でも『あのころ、のりピーの下敷き持ってたよ』とか言って下さるのは、本当にうれしいですね」とニッコリ。「地上波のテレビ番組にも、また出演していきたいですね」と夢も語った。

(よろず~ニュース・福島 大輔)

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