藤沢和師と秋の天皇賞 あえて古馬との対戦選んだシンボリクリスエス連覇の布石

 「天皇賞(秋)・G1」(31日、東京)

 これまで数々のタイトルを積み重ねてきた藤沢和雄調教師(70)=美浦=だが、最も手にしたのが5頭で6勝を挙げる秋盾だ。22年2月末で定年となる名伯楽にとって、21年のグランアレグリアは最後の挑戦。稀代の名トレーナーの過去の熱闘を振り返る。

  ◇  ◇

 ダービー惜敗の悔しさを胸に、シンボリクリスエスが挑んだ02年天皇賞・秋は、東京競馬場が改修工事を行っていたため、中山競馬場で行われた。

 実はレース前、ペリエに騎乗依頼をする案が浮上。オーナーと藤沢和師で話し合いが持たれたという。そこで師は「岡部騎手は中山で育ったアンちゃんだから、中山二千は上手ですよ。乗せてください」と進言。結果はナリタトップロードの猛追を3/4馬身差封じてV。当時53歳の岡部は最年長G1勝利記録を塗り替えたが、結果的にこれが自身最後のG1タイトルとなった。

 師は菊花賞ではなく、秋の盾を選択した理由について、「翌年も(秋の)天皇賞を使いたかったからね。三千を使ってから二千に戻すと苦戦することが多い。中には走る子もいるけど、馬が渋くなるのが嫌でした」と説明。思えば、布石は既にこの時点で打たれていた。

 ペリエを配した03年秋。1分58秒0のレコードタイムをたたき出し、史上初の連覇を達成した。その後は前年と同様にジャパンC3着→有馬記念Vで締めくくり、4歳にして現役生活を終えている。

 2年連続で年度代表馬に輝いた優等生。「この子に限っては、スタリオン入りするのは早かったかなという気持ちはありますね」と複雑な思いを口にしつつ、こう続けた。「ただ、ここで種牡馬になったからラドラーダが誕生し、そしてレイデオロを産んだと考えることもできますよね」。血は受け継がれ、厩舎にダービーの勲章がもたらされるのは14年後のことだ。

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