【野球】劇的サヨナラ弾と言えば…ヤクルト・杉浦、引退撤回した日本S史上最高の一発

 巨人の“若大将”岡本和真内野手(24)のサヨナラ弾に、野球記者人生で一番思い出深い、サヨナラアーチを思い出した。

 5月9日の巨人-ヤクルト戦は、岡本和の自身初のサヨナラ打となる劇的な7号3ランで幕を閉じた。相手がヤクルトだったということもあり、頭の片隅にあった記憶が鮮明によみがえってきた。

 私は野球記者時代、広島を皮切りに、阪神、日本ハム、ヤクルト、横浜(現DeNA)、巨人、西武と全7球団の取材に携わってきた。数々のサヨナラ弾を取材しているが、その中で、1992(平成4)年の日本シリーズ、ヤクルト-西武の第1戦で飛び出した杉浦享(68)の代打サヨナラ満塁弾こそが、自身で選ぶNo.1だと思っている。

 みなさんは杉浦という選手を覚えているだろうか。70年のドラフトで、愛知高から当時のヤクルトアトムズ(現スワローズ)に投手として10位指名されて入団。野手に転向後は外野手、一塁手として活躍し通算1434安打、224本塁打の記録を持つ名選手である。そんな杉浦だったが、40歳となった92年シーズンはわずか18試合に出場し2安打。野村ヤクルト初の日本シリーズ出場を最後に引退すると表明していた。

 1面で杉浦のサヨナラ弾を書いた記事を読み直してみた。腰、左手首、右膝の状態が思わしなく、シーズン中には入院して右ひじの貯(た)まった水を抜いたと書いていた。満身創痍(そうい)の状態だったが、神宮球場に連れてきていた長男優君に「最後の姿をみせたかった」とのエピソードを紹介していた。

 花道を飾るためにシリーズに出場した杉浦は、3-3で迎えた延長十二回裏1死満塁の場面で代打として登場。巨人でも活躍していた、ストッパー・鹿取義隆(64)から日本シリーズ史上初の「代打サヨナラ満塁本塁打」を放った。今でも日本シリーズ史上最高の1発ともいわれる、伝説のホームランだ。万歳をしたまま数秒間もホームベース上から動くことができなかった杉浦の姿に、神宮球場に詰めかけたファンの歓声、拍手はしばらく鳴りやまなかった。沈着冷静な当時の野村監督(故人)でさえ、試合後は顔を上気させ、杉浦を褒めたたえたほどである。

 結局、野村ヤクルトは3勝4敗で敗れ、この年は日本一に手が届かなかった。だが、この日を境に、終わるはずだった杉浦の野球人生の針が少し戻った。だから人生は面白い。杉浦は西武球場で行われた第3戦、4戦は指名打者で先発出場を果たし、十分戦力になることをアピール。野村監督の引き留めもあり、引退を撤回し、現役を続行することになった。

 その年、ヤクルトの優勝旅行はオーストラリアだった。私も同行取材したが、ある日、杉浦一家と町中で遭遇し、何軒か土産店を歩いた。その際、杉浦一家から「パパの原稿を大きく書いてくれてありがとう」と、お礼の言葉をいただいた。奇跡のような1本のホームランは今も私の中で生きている。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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