【野球】巨人・槙原寛己のパーフェクト記念日 5月18日が今年もやってくる!

 今年もあの5月18日がやってくる。巨人ファンのみならず、あまたの野球好きにとって、5月18日は記念日だ。“ミスターパーフェクト”こと元巨人の槙原寛己(57)が1994(平成6年)に、福岡ドーム(現ペイペイドーム)で行われた広島戦で、完全試合を達成した日だからである。

 阪急(現オリックス)の今井雄太郎以来16年ぶり、史上15人目(セ8人目)の快挙だ。最終打者となった御船英之のファウルフライが、落合博満のグラブに収まった瞬間の記憶は、今も決して色あせることはない。

 私はその試合を現場の責任者である巨人担当キャップとして取材し、1面原稿を書いた。当時の巨人キャップの仕事は、長嶋茂雄監督番としての役割が大半だった。試合後、監督に張り付いている姿が野球中継の最後に映し出されることも多かったらしく、私の仕事を知らない、近所の飲食店の人から「よく長嶋さんの横に映ってますね。ガードマンの方ですか」と質問されたこともあった。

 朝から晩までミスターに張り付き、質問をぶつけ原稿にするのに必死で、あまり選手個人の原稿を書くチャンスはなかった。だが、この日は巨人の球団創設7000試合目で、平成初、しかも人工芝グラウンドおよびドーム球場初の完全試合ということで原稿を書かせてもらった。

 7球団を担当したが、完全試合に遭遇したのは後にも先にもこの1試合だけだ。93年オフに槙原がFA宣言した際、17本のバラの花束(実際は20本あったという話もある)を抱えて残留を説得した長嶋監督が、ベンチ前で抱擁して出迎えたと記憶している。

 槙原本人が完全試合のエピソードとして話しているのが、試合前々日の門限破り発覚事件である。門限時間を過ぎて中洲で飲みあるいていたところ、堀内恒夫投手コーチに見つかってしまい、外出禁止の処分を受けた。その処分解除をかけて、マウンドに上がったという話である。実は試合後、槙原本人の口から「絶対に書かないでください」という条件の下、聞かされていたため、翌日付の新聞では日の目を見なかったエピソードである。

 このとき槙原を駆り立てていたものがある。相手の広島の先発が翌年からチームメートになった川口和久だったことも大きい。槙原は当時、「僕がここまでこられたのは広島のおかげです」と語ったことがある。王貞治監督時代、槙原は川口、そして大野豊らと投げ合い、何度も悔し涙を飲んできた。その川口が相手の先発だった。当時の原稿を読むと、ひょうきんな男が「六回ぐらいから本当に緊張しました。まるで夢の中です。生きていてよかったですよ」と大げさなほどまじめな口調だった。

 三振7、内野ゴロ11、内野フライ3、ファウルフライ3、外野フライ3。試合時間は2時間14分、投球数はわずか102球での大記録。槙原の快挙から27年がたとうとしているが、完全試合は達成されていない。そのおかげで、私の最後に完全試合を取材した記者のひとりという経歴は、生きている。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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