【野球】監督交代劇に思い出す ミスタータイガース・村山実監督の本音

 村山実監督=1989年
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 セ、パ・リーグともにペナントレースは最終局面に突入した。シーズン終了後には日本ハム・栗山英樹監督、ソフトバンク・工藤公康監督、中日・与田剛監督が指揮官の座を降りることが決まっている。プロ野球は勝負の世界、結果が求められる。結果によっては辞任、解任、契約期間の満了の違いこそあれ、監督交代を余儀なくされるのは仕方がない。

 私は過去、プロ野球記者として7球団を担当し、何度も監督交代劇を取材してきた。その中で、いまだに脳裏に刻まれているのが、1989年の村山実監督(故人)の辞任劇だった。

 この年も阪神は最下位争いを演じており、球団はミスタータイガースといわれた、村山監督の解任に動いていた。その流れを察知して突然、報道陣の前で辞意を漏らしたのは9月17日、ヤクルト戦終了直後だった。

 その日のことは今でも鮮明に覚えている。普段なら下っ端記者の私は選手のコメントを集める仕事が多かったが、このときは監督を取材する役割を命じられていた。試合終了後、甲子園球場内のプレスルームに姿を現した村山監督に、私は「金森(栄治)さんがいいところで打ちましたが」と会見の口火を切った瞬間だった。

 村山さんが「ちょっとその前に、私の方からお話したいことがあります」とさえぎり、こう続けた。「いろいろ取りざたされていること(解任騒動)に関して(高田順弘)代表と話をした。選手やコーチに130試合、静かに戦わせてやりたいし、今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを表明することにした」と自らの辞意を表明したのだ。

 それを境に阪神の次期監督選びはさらに本格化。取材活動は次期監督問題が中心となっていったが、思わぬ取材のチャンスが訪れた。10月17日のことである。当日、村山監督は大阪市内のスポーツメーカーへ、退任のあいさつ回りする予定になっていた。

 私はそれを取材するためタクシーなどで追っかけていたのだが、午前中のあいさつ回りを終えた瞬間だった。突然、村山さんから「昼飯でも食うか」と、大阪市内のすし店に誘われた。

 村山さんは「一杯ぐらいいいだろう」と、私のグラスにビールを注いでくれた。そして、食事の間、それまで聞いたことがない家族の話や苦労話などを語ってくれた。それまでの取っつきにくい印象ではなかった。

 このときに村山監督の口から飛び出た「お前、いつも俺のことを暗い、暗いと書きやがって。俺は本当は明るいんだ」という冗談めかした言葉に一瞬、耳を疑った。

 「俺の本当の姿はグラウンドでみせていたものとは違うんだ。ただ、ケンカするのに始めからやさしくしていたらダメ。必死になる姿を作っていた」

 その言葉は、プロ野球の監督という重圧から解き放たれたからこそ漏れた本音だったと思う。

 今季限りでユニホームを脱いだ後、指揮官たちは何を語るのか。興味がある。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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