【野球】元ロッテ 日本製鉄かずさマジック・渡辺俊介監督の涙の裏にあった苦境

 初めて見る姿だった。10月3日-。都市対抗野球南関東二次予選の第2代表決定戦。勝利を収めて3年ぶりの本戦出場を決めた瞬間、日本製鉄かずさマジックの渡辺俊介監督(45)はうずくまり、コーチ陣に肩を抱かれながら涙を流していた。

 「平気な顔をして立っていようと思ったんですけど、力が抜けちゃいました」

 ロッテでの日本一、そしてWBCでの世界一-。歓喜の中での笑顔は見てきたが、全身の力が抜け、涙を流す渡辺俊介の姿は記憶にない。そのワンシーンだけで、背負った責任の重さが感じ取れた。

 15年に投手兼任コーチで古巣に復帰。その時は都市対抗を「大人の甲子園」と称していた。大人たちが本大会を目指して戦い、勝って、そして負けて涙する。ただ、流れる涙の重みは“本家”のそれとは少し違っていた。

 成績が振るわなければ自らだけでなく、チームの存続に関わってくる。都市対抗予選は悲壮感すら漂う、文字通りの“明日なき戦い”。だからこそ引き込まれるのだ。渡辺俊介は20年から監督に就任。そこからは、逆風続きの道のりだった。

 昨年の都市対抗予選。創部1年目のハナマウイに敗れ、本戦出場を逃した。屈辱の敗戦。そこから、今年への挑戦は始まっていた。

 昨年の11、12月は投手、野手ともにハードな練習を耐え抜き、一から土台を鍛え直した。中村心コーチは「特別なことはしていない」と話す。投手は徹底的に走り込み、野手は限界までバットを振る。違うのは濃度だ。

 「本当にシンプルです。野手はロングティーを全員で毎日、外野がボールで埋まるぐらいまで打ちました。1球を本気で思いきり打つというのをテーマに。それをみんなが本気になって振り込んでくれた」と中村コーチ。「質は、量をやったヤツしか言えない」。とにかく愚直に基礎練習の量をこなし続けた。

 エース格の山本も「誰も文句1つ言わず、みんながやる必要があると思ってがむしゃらにやった」と振り返る。チームを奮い立たせたのは、敗戦の悔しさだけではない。

 去年の予選敗退後、渡辺監督は会社などへ謝罪のため頭を下げて回った。ベテラン右腕の橘は「会社へ謝って回っていたのを知っているので。投手キャプテンの松尾と『監督の顔に泥を塗るわけにはいかない』と言ってきました」という。

 そうして迎えた6月の日本選手権予選は、チーム内に新型コロナウイルスの陽性者が出たため出場辞退に。数々の困難に打ち勝った選手やコーチの存在があったからこその、渡辺監督の涙だった。

 本戦へ向けて投手、内野手、外野手に補強選手を加えた。「それぞれのポジションでの競争力を上げる目的もある。もう一段階ができるかできないか。できなきゃ勝ち進めない」と渡辺監督。どん底からはい上がったかずさマジックは、28日の都市対抗初戦・西濃運輸戦から頂点への挑戦を始める。(デイリースポーツ・中田康博)

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