【野球】「美しく」働いた45年、阪神初の女性広報、村山久代さん球団生活に終止符

 プロ野球阪神で初の女性広報としてチームを支えた球団職員の村山久代さん(64)が今月末に定年退職を迎える。1978年に入社し、営業部、総務部などを経て、97年からは広報担当として活躍。2003、05年のリーグ優勝に携わった。13年にNPBの「優秀スタッフ賞」にも選出された名物広報が、45年のフロント人生を終える。

 今月14日には、甲子園球場で関係者による異例の「送る会」が開かれた。セレモニーでは歴代の担当記者からのスピーチや花束贈呈。矢野監督、平田2軍監督からのメッセージ映像もビジョンで流れた。村山さんは終始涙をぬぐいながら感無量の様子で「星野(仙一)さんにはマスコミも大事な戦力と教わり、岡田(彰布)さんに開幕の出陣式で握手され、チームの一員と認めていただいたことが忘れられない」などと思い出を述べた。

 この2人の監督時代に虎番だった記者は、当時数少なかった女性記者として村山さんの背中を見てきた。男性社会の中で常に身なりを整え、背筋をピンと伸ばして仕事をこなしておられた姿は憧れだった。そして、容姿だけでなく本当の意味で「女性らしく美しく」働くことを教えていただいたと思う。

 阪神を取り巻く報道関係者は100人規模になる。各社がそれぞれの思惑でアプローチする中では衝突も起こるが、緩衝材にもなっていただくことはしばしばあった。そういう時は、「なぜそうなるのか?」と背景を問われた。逆にこちらの希望する取材を受けてもらえない時も、「彼はこういう考え方だから」と理由をできる限り説明してくれた。

 20年、チーム内での新型コロナウイルスの集団感染の責任を取る形で、当時の揚塩健治球団社長が辞任した。その際、揚塩氏が甲子園球場長時代に高校野球の発展のために尽力されたという小さな記事を書いた。ネット限定の記事だったが、配信されてすぐに揚塩氏からメールが届いた。苦渋の決断を下した球団社長に、村山さんがささやかな記事の存在を伝えてくれたのだった。

 選手を守る、球団を守るのは広報の仕事の一つだが、村山さんにはその前提に“人をつなぐ”ことがあったと思う。だからこそ、聞きづらい質問の相談も村山さんにはできた。希望する形でなくても、何か伝えてもらえると信じていたからだった。

 「送る会」のあいさつで村山さんは「最初はマスコミの方に何を聞かれるかと毎日ビクビクしていたが、今はマスコミの方が私を見てビクビクしている」と笑わせた。選手にとっても報道陣にとっても「姉」であり「母」だった。働くことに男女の区別はない。それでも「女性らしい」「美しい」働き方があると教えてくれた大先輩だった。(デイリースポーツ・船曳陽子)

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