【野球】阪神日本一のビールかけ 珍しく選手と肩を組み、目尻を下げた岡田監督「素の岡田彰布」が見えた理由とは
阪神が5日に日本一を決めた後のビールかけで、ほほ笑ましい光景があった。岡田監督があいさつの壇上に向かう途中、「オカダコール」に目尻を下げる。選手からの祝福のビールを全身で受け止め、選手と肩を組む姿もあった。激闘を終えて、勝負師の仮面を取った「素の岡田彰布」が見えた。
グラウンドでは一切見せない姿だ。「監督が選手と仲良くなる必要はない。監督と選手が話している姿を見た他の選手がどう感じると思う?」と組織のトップとして選手とは一線を引き、ほとんど話すことがない。関西弁で物言いがきつく聞こえる時もある。
ただ、言動からは読み取りにくいが、誰よりも選手思いの人だ。
監督としてチームを預かる上では、何よりもチームの勝利が大前提。一方で選手を適材適所で活躍させ、選手の生活や家族のために年俸を上げられる方法を考えている。
そのために練習から試合まで選手の姿を隅々まで観察し、特徴や性格を把握する。ただ、「結局は自分がどうするかやで」とも言う。選手自身で考えさせ、大切なことを分からせようとする。
象徴的だったのが、6月の佐藤輝の2軍降格。スタメンを外された翌日のチームの和を乱す態度を問題視した決断だった。1軍復帰後させた後は姿を注視。「夏のロードぐらいからちょっと変わってきたな。練習の時の姿勢とかな、ほかの選手との関わりとかな。ベンチでの姿とかな」。監督就任前には「佐藤輝はこのまま終わってしまう可能性もあるよ」と話していた大砲に、荒療治で自らを見つめ直させた。
今季、選手への熱い思いは何度も聞いた。4番として認める大山にも一層の飛躍を期待する。シーズン中には「もう一皮むけてほしいよな。今は背中で引っ張っていく感じやけど。もうちょっと闘志が表に出てワンランク上にいったら、そらすごい4番になるで」と話していた。
大山は日本シリーズ第4戦でサヨナラ打を放った後、ベンチにガッツポーズをしながら走り出した。その後、岡田監督は満面に笑みを浮かべて主砲と握手し、言葉を交わしている。勝利の喜びと同時に感じるモノがあったのかもしれない。
開幕前の3月10日・オリックス戦では、初回2死一塁でのミエセスの左翼守備に目を見張った。「左翼線のヒットを早い動きで処理して、強い送球で二塁打にせえへんかったやろ。一つのプレーに必死やん。ああいう姿を見たらなんとかしたりたいと思うよな」。戦略家でありながら、人情家でもある。
岡田監督は1995年にオリックスで現役引退後、球団に残って2軍で指導者としてのキャリアをスタートさせた。選手思いのエピソードは数知れない。 オリックス2軍コーチ時代は打撃投手も務め、フリー打撃などで1日500球以上を投げた。マメがつぶれて打撃用の手袋をつけて投げたことも。「だから、もう肩は上がらへんわ」と笑う。
1998年に2軍コーチで阪神に復帰すると、2軍なのに勝利を重視した起用や采配、指導を疑問視。選手の夜間に付き合った後、年上のコーチの部屋に乗り込んで意見したこともあった。
勝利が求められる1軍監督昇格後は、現在のように選手と一定の距離を取った。だが、見えない所ではユニホームを脱いだ選手に対して、自身の関与は告げずに社会人野球などへの道を準備した。
オリックスの監督最終年となった2012年は、一時はシーズン最後まで指揮を執ることを伝えられながら、一転してリリースの紙一枚を見せられて途中解任された。球団に対して抱えている思いはあったが、最後は不満ではなく、選手への思いを言葉に乗せた。
「3年間で感じたことや、勉強になったことを少しでも思い出して、生かしてくれていたら俺はうれしいよ」
岡田監督が選手を大切に思う気持ちは、今も昔も変わらない。今年は何度もこの言葉を聞いた。「あいつら、ほんま大したもんやで」。リーグ優勝、日本一とともに、選手の活躍や成長する姿が、何事にも代えがたい喜びだったはずだ。(デイリースポーツ・西岡 誠)