【野球】大阪桐蔭・西谷監督 超速19年で甲子園勝利1位の指導力、観察力 「マメな人」と呼ばれる理由

 大阪桐蔭・西谷浩一監督が歴代1位の甲子園通算69勝を達成した。2005年夏の初勝利からわずか19年での頂点は、決して敏腕ぶりだけで到達できたわけではないはずだ。昨夏の大阪大会決勝で履正社に敗れるなど苦い経験を味わいながら、選手一人一人が実力を発揮しやすい方法を探り続けている。

 同監督にとって1勝目は4強入りした05年夏の1回戦・対春日部共栄。この年はのちにドラフト1位で巨人入りする左腕・辻内崇伸、1位で中日に進むスラッガー・平田良介を擁し、1年生には投手もこなす中田翔外野手(現中日)もいる優勝候補だった。しかし先発・辻内は大舞台のプレッシャーもあり4回2/3を6失点と乱調。西谷監督は我慢の続投をさせたが、五回2死一、三塁のピンチで中田にスイッチした。中田は1点を失ったが後半を抑え、七回には勝ち越し本塁打も放つ活躍をみせた。

 素質は一流ながら、メンタル面のもろさを抱える辻内には2回戦・対藤代でも先発させた。するとエースは19奪三振1失点完投で応える。西谷監督は「あえて1人で克服させた。悩みながらもかなり成長した」と数日間で精神的な成長を引き出した。逆に、のびのびした性格の中田には大舞台でチャンスを与え、一流選手への階段を上がるきっかけをつかませた。大阪桐蔭もこの大会をターニングポイントに、勝利数を上積みしていく。

 選手の性格や長所を見極め、それぞれに合う練習や起用法を判断する。下級生の頃は上背がありながら制球やフィールディングに苦しんだ藤浪晋太郎投手(現メッツ傘下3A)には、徹底的な走り込みとクイックなど細かい技術の反復を徹底させ、3年時の12年に春夏連覇投手に成長させた。

 観察力という点で共通するのが、周囲への気配りだ。その人柄を知る人の多くが「マメな方だ」と評する。同監督が目標としてきた監督の一人が、これまで最多だった68勝で18年夏を最後に勇退した智弁和歌山前監督・高嶋仁氏だ。同氏の勇退パーティーで西谷監督は明徳義塾・馬淵史郎監督らとともに発起人を務め、全国から292人の野球関係者を大阪市内のホテルに招いた。同年8月には龍谷大平安の甲子園春夏通算100勝を祝い、原田英彦監督に真っ赤なバラのブリザーブドフラワーを贈った。

 プロに進んだ卒業生の多くが各球団を代表するプレーヤーになり、大学・社会人野球でも主力を務める。近年は指導者として活躍するOBが増えたことも、西谷監督の指導が卒業後の人生に大きく影響していることがうかがえる。「私の数字ではなく、先輩(卒業生)たち、きょう戦った選手の数字。大阪桐蔭の数字です」という言葉に、これまでの指導がにじみ出ていた。(デイリースポーツ・中野裕美子)

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