【スポーツ】都道府県対抗女子駅伝“アンカー”田中希実に込められた大きな意味 兵庫・渋谷コーチが見た成長
阪神・淡路大震災から30年。12日に行われた全国都道府県対抗女子駅伝で、兵庫は右胸に震災事業で作られたロゴワッペンをつけ、たすきをつないで10位に入った。最終9区はパリ五輪1500メートル、5000メートル代表の田中希実(25)=ニューバランス=が10キロに挑戦。なぜ、専門外の距離ながらアンカーを任せたのか。田中の行動から見た成長を、兵庫チームの渋谷優美コーチ(54)が明かした。
9区を走り終えた田中は「ふがいない」と悔しさをのぞかせた。経験数の少ない10キロに挑戦。ほぼ同時にスタートした長崎の東京五輪代表、広中璃梨佳(日本郵政グループ)を意識して力み、区間6位という結果には満足できなかった。
本来のチーム状況なら9区は走らなかった。長距離を主戦場とする太田琴菜(29)=日本郵政グループ=が、昨年11月の全日本実業団対抗女子駅伝後から状態が思わしくなく、登録メンバーには入ったものの、出走を断念。田中は昨年走った2区(4キロ)と並行して、9区に向けた調整をしてきた。
アンカーにはもう一つの理由、というよりは大きな意味が込められている。それを渋谷コーチが明かした。
「(今大会の)キャッチフレーズが『わたすきぼう』でしょ。希実は『希望が実る』という漢字。希実に希望を託して、みんなで一生懸命1区から8区までつなごうね、と」
だから、田中は個人的な結果が振るわなくても、暗い言葉ばかりを吐いていられなかった。胸の内にはいろんな感情が湧き立っただろうが「チーム兵庫の姿勢として見せる目標をブレずにできたかな」と、やり切ったような充実感もにじませた。
兵庫のメンバーは全員が29歳以下。阪神・淡路大震災は生前の出来事で、直接体験していない。悲惨さを風化させないように、渋谷コーチは15年前から出走前日のチームミーティングで自身の経験を語り続けている。
中学教諭の渋谷コーチは当時、西宮市立平木中に赴任。震災では陸上部の教え子を亡くした。「見てやれなかったんです。本当にショックで」と、安置所の教え子の顔を見ることができなかった。悲痛な体験談を、出場常連の田中は毎年聞いて、重く受け止めている。
今年のミーティングでは、田中からアクションを起こした。チームの輪の前に音楽スピーカーを用意。震災復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』を流し、チームメートに「私たちは震災を経験してないからこそ、分かったつもりで走ってはいけない。だから、ありのままの走りをすることが一番」と語りかけた。
渋谷コーチは田中の母・千洋さんと小野高時代の同級生で「希実は赤ちゃんの頃から知っている」という間柄。震災と向き合いながら駅伝に臨む姿に「そんなことをしゃべれるようになったんだ。陸上を通じて、つくづく成長したなと思いましたね」と胸を打たれた。(デイリースポーツ・中谷大志)
◇田中 希実(たなか・のぞみ)1999年9月4日、兵庫県小野市出身。西脇工高から同大に進学した。18年世界ジュニア選手権3000メートルで金メダル。21年東京五輪1500メートルで日本人初の決勝進出を果たして8位入賞。24年パリ五輪は1500メートルと5000メートルに出場した。1000~5000メートルなどの日本記録を保持する。父はコーチも務める健智さん、母は97、03年の北海道マラソンを制した千洋さん。153センチ。