【野球】岩瀬仁紀氏が初めて語った幻の引退秘話 恩師に背中を押され、マウンドで魅せた引き際の美学

 野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りを発表し、NPBで歴代最多となる1002試合登板、通算407セーブを挙げた岩瀬仁紀氏(50)を選出した。駆け抜けた20年間の現役生活で、1軍登板なしに終わった15年に決断した幻の引退秘話を初めて語った。今だから明かせるカムバックの原動力には、恩師・落合博満氏からの言葉があった。

 絶対的な守護神として持ち合わせた強靱(きょうじん)な精神力、タフさ…。どれも当てはまるようで、ピンとこない。実際に接する岩瀬氏はとても謙虚な人だ。

 殿堂入りのスピーチでは恩師と慕う故星野仙一氏、落合博満氏だけではなく、長年女房役として支えた谷繁元信氏やコーチ陣、自主トレ先の恩人の名前を複数挙げた。人との出会いに感謝し、決して一人ではたどり着けなかった数々の金字塔には「殿堂入りが恩返し」と言う。実に控えめで、岩瀬氏らしかった。

 5度のセーブ王に、3度の最優秀中継ぎ。新人だった99年から15年連続で50試合以上のマウンドに上がり続けた。順風満帆だったプロ野球人生に影を落としたのは14年夏だ。原因不明の左肘痛に悩み、「診断名がなかったことが逆につらかった」と手術などの選択肢にも至らないもどかしい現状にいら立った。

 一進一退を繰り返す日々を過ごし、腹をくくったのは一度も1軍登板がないまま迎えた15年の夏頃。「1年間投げられなかったらもう仕方ないな」。意を決して、当時の落合GMの元を訪れて現役を引退する旨を短い言葉で伝えた。だが、強い思いはすぐにかき消された。「ダメだ」という返事には続きがあった。

 「投げないで辞めるな、投げてから辞めろ」

 ズドンと響いた言葉だった。先の見えないリハビリ生活もキャッチボール、ブルペン投球、2軍での打撃投手。少しでも確実に進んだ日々に光を探した。16年に1軍へ舞い戻ると、登板に飢えた岩瀬氏は16年に15試合、17年は50試合、引退を決めた18年は48試合と前人未到の1002試合登板まで積み重ね、悔いなくユニホームを脱いだ。

 最後までマウンドに立ち、極限の状況で白星を守り抜いてきた自負がある。「もうね、プレッシャーがないと投げられないんだよ。九回でも同点だと気持ちの持っていき方が難しい。それが当たり前の中でずっとやってきたから」。守護神ではなくなり、中継ぎとなった晩年には別の難しさに悩んだことが懐かしい。

 鉄人の残した407セーブという記録は、今後抜かれることはないだろう。恩師から背中を押されて、マウンドで魅せた引き際の美学。15年の引退決断が、幻に終わったからこそなし得た殿堂入りでもあった。(デイリースポーツ・松井美里)

 ◇岩瀬 仁紀(いわせ・ひとき)1974年11月10日生まれ、50歳。愛知県出身。現役時代は左投げ左打ちの投手。西尾東から愛知大、NTT東海を経て、98年度ドラフト2位で中日入団。最多セーブ5回、最優秀中継ぎ3回。05年から9年連続30セーブ。05年にセ・リーグタイのシーズン46セーブ。15年に左肘の故障で1軍未出場も翌16年復帰。18年コーチ兼任、19年現役引退。通算1002試合登板と通算407セーブはプロ野球記録。04年アテネ五輪、08年北京五輪日本代表。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

インサイド最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス