【野球】プロ野球審判から住職へ「笑う練習もしました」29年のキャリア誇った佐々木昌信さんが回想する激動の人生
プロ野球の審判員として29年間を過ごした佐々木昌信さん(55)が住職に転身して5年目を迎えた。通算2414試合出場を誇り、日本シリーズ6回、球宴4回、WBCにも日本代表として出場したベテランは、群馬県館林市にある実家の覚応寺の第18世住職として奮闘中だ。ルールブックを経典に持ち替えた佐々木さんが、審判員時代を振り返るとともに住職として過ごす日々を語った。
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審判時代の鋭い眼光、いかつい雰囲気はすっかり抜け落ちていた。作務衣(さむえ)姿の佐々木さんは柔和な笑みをたたえていた。
「家族からは住職になって少し穏やかになったって言われます。審判の時はいつも怒ってるような顔をしてたって。昔の仕事はキッと集中する場面が多かったので、目つきが悪いってよく言われました。笑う練習もしましたもん」
全国の試合開催地を忙しく飛び回り、神経をすり減らしていた生活は一変。今は「いつでも相談に応じられるように」と遠出を控えて寺を守る。
朝は5時に起床し、早朝に墓参りに訪れる人のために門や本堂を開けて掃除をし、お経を上げる。夜は20時には就寝。審判時代は最大105キロだった体重は、現在では88キロほどを維持。心身ともに健康だという。
コロナ禍により開幕が3カ月遅れた2020年、11月4日の西武-日本ハム戦(メットライフ)で、三塁塁審を務め審判員としての29年間の人生に区切りをつけた。
家族も駆けつける中、引退セレモニーで見送られた佐々木さんだが、内心は上の空だった。
「本来なら涙、涙なんですけど、翌日が寺の役員の方のお葬式で。初めてだったもんですから、大丈夫かなって、そればかり考えてて」
住職として独り立ちして初めての葬儀を無事に執り行えるかが気がかりで、余韻に浸る余裕はなかったという。
先代である父の病が2019年に発覚、20年の年明けに他界したことで寺を継いだ。「父がいない状態で帰ってきたので引き継ぎができなかった。いっぱいいっぱいでしたね」。門徒の顔と名前が一致しない、お墓の場所が分からない。右往左往した代替わり当時を振り返った。
寺の長男であり、大谷大学で僧侶の資格を取得していた佐々木さんが審判の道に進んだのは、京滋大学リーグでプレーしていた4年時に元審判の知り合いから声をかけられたことがきっかけだった。
面談では「『君は、いやなことは忘れられるか』って突然聞かれて、よく分からないままに『はい』って返事をして」。とんとん拍子に話は進み、東京のセ・リーグ事務所で内定をもらった。
2軍で経験を積み、4年目の95年5月5日広島-阪神戦(広島)で三塁塁審として1軍デビュー。翌日には初めて球審も務めた。
「指導員の方からは1軍で1500試合に出場したら一人前だと言われましたね」
プロ野球選手が審判に転身するのが主流だった時代。アマ野球の経験しかないことに引け目を感じた時期もあった。
「自分はプロ野球とは無縁の高校、大学だったから先輩も後輩もいないし、選手からは『誰だ、あいつは』みたいな感じで見られていた」
しかし、出場を重ねる中で変化が訪れた。
「ある時期から選手や監督、コーチが会話してくれるようになったんです。先輩に言ったら、それはおまえが1軍の審判として認められたってことだと言われたんです」
審判になりたてのころはトラブル続き。「毎日がいやで、いつ辞めようかとばかり考えていた」というが、気がつけば2414試合に出場していた。
「自分は選手としては全然ダメだった。だから、審判としてプロの世界を見るのはいい経験になるだろうって、その程度でした。それが29年間も務められた」と感慨を込める。
実家の寺には、違う道をまず歩んでから寺に入る伝統があるという。祖父は中学校の教員を、父は消防署員を務めてから住職となった。
「お坊さんの先輩には、もっと若くして学んでないと学びの時間が短すぎると指摘される人もいますが、人それぞれ。僕は審判で学べたことがプラスになってる。無駄な29年じゃないと思ってます」
ルールブックを経典に持ち替えて5年目。今では地域に受け入れられ、町の役員や町づくり研究会に名を連ね、仕事の合間には東都大学野球の審判を務めるなど忙しく過ごす。
「結構、激動の人生ですよね」とつぶやいた佐々木さんは、「住職、住職って言ってくれるんですけど背中がかゆいんですよ。まだまだ、大きな初心者マークがついてる。立派な住職にとは考えてない、親しまれる住職になれたら」と理想を掲げた。
(デイリースポーツ・若林みどり)
佐々木昌信 1969年8月6日生まれ。群馬県出身。大谷大学文学部真宗学科卒。外野手として3年秋に京滋大学リーグでベストナイン選出。1992年にセ・リーグ審判となり95年に1軍デビュー、29年間で通算2414試合に出場。球宴4回、日本シリーズ6回出場。2017年に第4回WBCに日本代表として出場。2020年に引退し同11月から実家である真宗大谷派覚応寺の第18世住職を務める。東都大学野球審判員。