【野球】ユニホームを脱いで初めて迎える3・11 東日本大震災以降、福島・いわき市と交流を続ける楽天前監督・今江敏晃さんの決意と思い

 東日本大震災が発生した2011年から、福島県いわき市の子どもたちと交流を続けている野球人がいる。前楽天監督の今江敏晃さん(41)。ロッテ時代に始めた野球を通じた復興支援活動は、楽天に移籍しても継続され、野球教室、小中学校訪問などで地域とのつながりを深めてきた。震災から14年。昨年10月に監督を退任した今江さんが、プロ野球のユニホームを脱いで初めて迎える3月11日を前に、自身の新たな挑戦を子どもたちに見せていく決意を語った。

  ◇   ◇

 縁もゆかりもなかった地が、いつしか心の中にしっかりと根を張る存在となっている。

 「いわきの方たちとは、まだ13年のお付き合いなんですけど、第二の故郷みたいな感じなんです。子どもたちだけじゃなく、地域の方たちともふれ合う機会があり、お互いに刺激し合って、がんばりましょうよって。そんな関係性を築けてるのかなと思います」

 途切れることなく続いているいわき市の人々との交流。プロ野球の肩書を外して迎える3月11日を前に、今江さんは思いをかみしめた。

 東日本大震災から9カ月後の2011年12月。ロッテの主力選手だった今江さんは初めていわき市を訪れた。当時から養護施設訪問や障害者野球チームとの交流を続けていたが、活動をサポートしてくれていた球団スタッフの実家がいわき市にあり、震災で甚大な被害を受けたと知って行動を起こした。

 現地に入り、目の当たりにした光景を忘れることはできない。津波で消えた海岸沿いの町並み。積み上げられたがれきの山。「言葉が出なかったですね。言葉で表せないというか」。

 訪れるまでは「行ってもいいのか」という逡巡もあった。だが「迎え入れていただいた。いろんなお話を聞かせてもらって、少しでも力になりたいと思ったんです」

 小学生たちと笑顔でふれ合い、小さな机でともに給食を食べた。中学生とは部活動で一緒にキャッチボールを楽しんだ。「また来ます」。そう約束した通り、翌年以降もいわき市を訪れた。

 「僕が1人でできることは本当に微力ですが、行くことに意味があると思っています。震災を知らない子どもたちに震災があったことを知ってもらうことも大事だし、続けることで見えてくるものがありますから」

 震災発生年からの歩みは、子どもたちの成長ぶりを教えてくれる。

 「2020年に磐城高校が21世紀枠で甲子園に行ったんです。小学生だった子どもたちが頑張ってる姿はうれしかったですね」。チームの半数と野球教室で交流していただけに喜びはひとしおだった。

 高校生や大学生になった子どもたちが台風災害などで率先してボランティア活動に取り組んだと聞かされ胸が熱くなったこともある。

 「『今江さんが来て元気をもらったから、子どもたちが社会に恩返しするよう頑張ってます』って言ってもらえて、僕は最高にうれしかったし、行っててよかったと思う瞬間ですよね」と、ほおを緩めた。

 つながりが生まれたことは、自身の野球人生にも変化をもたらした。

 2013年にいわき市で開催された復興支援のオールスターゲームは大きな意味を持った。

 「プロ入りして一番ぐらいの挫折というか、壁にぶち当たった年だったんです。でも、いわきでオールスターがあることに力をもらった。絶対に出たいと思いましたから」

 いわき市の子どもたちから届いた「オールスターで待ってます」のメッセージ。もがき苦しみながら監督推薦で自身2度目のオールスター出場を勝ち取った今江さんは、プレーボール前に交流のあった野球チームの少年たちと再会を果たした。

 「僕は、その時ちょっと胸を張りましたよ」

 “第二の故郷”に凱旋をして生のプレーを見せられたことは誇りだ。

 2016年、今江さんと東北の縁はさらに深まった。京都で生まれ育ち、PL学園を経て、ロッテで活躍してきたが、チーム名に「東北」を冠する楽天へのFA移籍を決断したのだ。

 「東北ということは決め手のひとつでした。東北のチームに行くことで少しでも力になれればと思ったし、みんなが喜んでくれて、また応援しようとなってくれると思ったので」

 宮城県仙台市に本拠地を置くチームの一員となった今江さんは違うユニホームで躍動する姿を子どもたちに見せてきた。

 新天地で4年間プレーした今江さんは、2019年をもって現役を引退。18年間のプロ生活で1682安打を積み上げた。引退後は楽天で指導者となり、2024年に40歳の若さでチームの監督に抜擢された。

 だが、シーズン終了後の10月半ば、球団は1年での監督退任を発表した。突然訪れた人生の転機。現役、指導者として23年間続いてきたプロ野球人生はひとつの区切りを迎えた。

 志半ばにしてユニホームを脱ぎ、9年間を過ごした東北を離れた今江さんだが、いわき市との、東北との向き合い方が変わることはない。

 「元々、1人の人間としてやりたいと思ってきたこと。野球界を離れたから、チーム名がないからって活動を途切れさせるつもりはありません」

 きっぱりとした口調だった。

 「これまでは『プロ野球』という看板がありましたが、それがいったんなくなった。もう一回、自分の看板を作っていかなきゃいけない。そこに向けて努力する楽しさと大変さを一からやっていきたい。不安はありますけど、わくわく感もある。いい経験をしたいと思っています」

 すでに、その視線は前に向けられている。

 「プロ野球の監督までやらせていただいた」と感謝しつつ、「監督ということで一線というか壁があったんですけど、それを取り除いて、いろんなことにチャレンジしていきたい。まだ年齢も年齢なんで」

 41歳。重い肩書がなくなったことで広がる世界もある。楽天時代、チームの熱烈な応援団であるサンドウィッチマンと親交を深め、2人が所属する芸能事務所に入った。 「たとえば自分がテレビに出ることで、子どもたちが喜んでくれるかもしれない。そうなるように頑張らなきゃって思ってます」

 東北復興に取り組み続けている2人とともに、これまでとは違った一面を見せることもあるかもしれない。

 もちろん、軸足を置くのは「野球」だ。「野球があったからこそ、今の自分があるし、こういう活動ができている。野球界にも恩返しをしたいと思ってます」

 いわき市では毎年、自身の名前がついた「今江敏晃カップ」の学童野球大会が開催されている。「いわきって、少年野球、学童野球が盛んなところで全国大会で何度も優勝をしてるんですよ」。コロナ禍でもオンラインで野球教室を継続した熱意の持ち主は、今後も少年野球の底辺拡大にかかわっていくつもりでいる。

 先日は沖縄でキャンプ中の韓国プロ野球、三星ライオンズの特別インストラクターを務め刺激を受けた。新たな「今江敏晃」をつくっていく挑戦は始まったばかりだ。

 震災から14年。「今でも苦しんでおられる方はたくさんいる。東日本大震災は一生、忘れてはいけない出来事だと思うんです。日本は地震大国ですし、この経験を絶対にいかさないといけないし、風化させないように。これからも微力ですけど、復興への力になれたらと思います」

 さまざまな社会福祉活動に取り組み続ける今江さんには信念がある。

 「一方的ではなく、お互いが励まし合って刺激し合うことで、いい方向に行くと思うんです。いわきに行かせてもらうと、僕は元気をもらう。エールの交換じゃないですけど、お互いが頑張ろうってなれる」

 1人の人間としてこれからも、笑顔で被災地に寄り添っていく。

(デイリースポーツ・若林みどり)

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